岐阜だったのか

『読売』の記事;


「わたしきれい?」口裂け女、発祥の地に現る?

よみうりしんぶん

2012年7月8日(日)12時6分配信 読売新聞

 「わたしきれい?」と言いながら近づく妖怪女の都市伝説にちなんだお化け屋敷が、伝説発祥の地とされる岐阜市柳ヶ瀬商店街に13日、オープンする。

 柳ヶ瀬はかつて、東海地方でも有数の繁華街として知られたが、市の主力産業だった繊維産業の衰退とともに活気を失い、シャッターを下ろしたままの店も目立つようになった。企画した地元の経営者らは「お化け屋敷を活性化の目玉に」と張り切っている。

 オープンを控えた7日、関係者にお化け屋敷の一部が公開された。暗闇から妖怪女が登場する仕掛けで、体験したボランティアの女性スタッフは、不気味な女の姿に悲鳴をあげていた。

 この都市伝説は「口裂け女」と呼ばれ、1979年に流行。マスク姿の女が「わたしきれい?」と問いかけた後、マスクを外して恐ろしい形相を見せ、鎌やハサミで襲ってくるという怪談だ。同年1月の新聞に、岐阜市内の子供の間で出没のうわさが広まっているという内容の記事が出たため、同市が発祥という説がある。根も葉もないうわさだったが、怖がる子供を中心に口コミで全国に広がった。

 お化け屋敷は、若手経営者ら15人からなる実行委員会が中心となり、閉鎖した芝居小屋を改装してつくった。昭和時代にタイムスリップしたとの想定で、内部には、ドラム缶のある公園など昭和を感じさせる風景の演出がされている。9月23日までの期間限定で、入場料は高校生以上600円、中学生以下200円。ほかにTシャツやバッジなど関連グッズを販売したり、妖怪居酒屋を開店させたりする。
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20120708-00293/1.htm

口裂け女」って岐阜市が「発祥の地」だったのか。故宮田登先生の『妖怪の民俗学』ではどのように言及されていたか。といっても、この本は今手許にないのだ。口裂け女」が「お化け屋敷」ということで違和感を持ったのは、「口裂け女」って屋内的なものではなく屋外的なものだった筈だからである。いくら「公園」という設定がなされているとはいっても。「ドラム缶のある公園」が昭和後期の1979年に一般的なものだったかどうかはともかくとして、そもそも「公園」というのは「口裂け女」の場所ではなかったように思う。「マスク」を外した後に追っかけられるというプロットからして、道路のようなオープンな空間に〈出現〉したということになっていたという記憶がある。また時間の設定も問題だろう。「暗闇から妖怪女が登場する」? 一般的に言って、魔に遭遇する危険な時間帯は夕方、黄昏(誰そ彼)すなわち逢魔が時であったわけだし、「子供」が「口裂け女」に遭遇したとされたのも夕方だった*1。そもそも本格的に「暗闇」になったら「子供」が外を彷徨いている筈がない。 黄昏が危険なのは昼でもあり夜でもある(或いは昼でもなく夜でもない)ということによる。さらに「子供」にとっての夕方の意味を考えなければならない。夕方は下校時間に対応するわけで、「子供」にとっては学校制度から離れ、塾や家庭という別の制度に移動するちょうど中間、制度的な空白の時間であるわけだ。
「柳ヶ瀬」といえば「柳ヶ瀬ブルース」という美川憲一の歌もあるわけだが*2、発掘すればもっと艶っぽいフォークロアはいくらでもあるんじゃないか。