マそれともアイダ?

http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090115/1232002783


「間」と題されている。マと読むのか、アイダと読むのか。「間」というと、木村敏先生の本(例えば『人と人の間』とか『人と人のあいだの病理』)を想起したりする。上記のエントリー、興味深いが、それぞれに準位の異なる、また必ずしも「間」という言葉を用いなくても済むようなトピックが語られている気がした。

人と人との間―精神病理学的日本論 (弘文堂選書)

人と人との間―精神病理学的日本論 (弘文堂選書)

人と人とのあいだの病理 (河合ブックレット)

人と人とのあいだの病理 (河合ブックレット)


例えばフランス革命を考えてみよう。永久不変に栄華を保ち続けると思えわれたブルボン王朝は、バスティーユ陥落を皮切りに失墜し、終には国王ルイ16世のギロチン処刑をもって、その歴史に幕を閉じた。

しかしである。歴史はそのように、決定的なできごとの点と点だけで語れるのか。世界史の教科書にある無機質な年表が示すとおり、飛び石のようにして時代は、歴史は変わっていくのか。

革命は、「ロベスピエール」や「ナポレオン」といった歴史上の有名人だけでは到底成し遂げられなかっただろう。そこには、名もなき数多の民衆の活躍と死が不可欠だったはずだ。それと同様に、歴史的事件という点と点の間に当時あったはずの、名もなき出来事と名もなき気風にこそ、歴史の点と点をつなぐ「線」の役割、革命の精神の萌芽があったのではないだろうか。

日常と非日常という対立。歴史年表に記載された(断続的な)出来事と出来事の「間」にも私たちは反復的に畑を耕したり、食事をしたり、セックスをしたりしている。これはマルクス主義的な上部構造vs.土台という図式に重ねることが出来るかも知れない。或いは、社会史や経済史の政治史に対する優位。さらには、民俗学社会学歴史学に対する優位。

男が女の中に入る。それは擬音でたびたび「ズッコンバッコン」と表現される。我々は図らずとも、この「ズッコン」と「バッコン」にこそ重要性を求める。しかしどうだろう。男根が完全に女性の蜜つぼを貫いている際には、殿方にできることはもはや何もない。殿方が女性の絶頂に協力できるのはむしろ、「ズッコン」と「バッコン」の間。女性の蜜つぼから男根がいったん引き抜かれ、そしてまた入っていく、あの不在の瞬間なのである。
通常は完全に「引き抜かれ」るのではないという突っ込みは可能だろう。これは音楽の場合でもそうなのだろうけど、反復によるリズムの生成、そして反復を、またリズムを可能にするもの、それは「不在の瞬間」すなわち「間」であるということになるのか。
ただ、「間」はたんなる無ではない。「不在」が在の否定形でしかないことに注意しよう。哲学的には例えばフッサールの『内的時間意識の現象学』の精読が必要なのだろうけど、それを省略して言えば、ここで言われている「不在」或いは空白は実は過去の痕跡と未来への予期に染まった「間」、そのことによって過去や未来を、また在を喚起する「不在」であろう。無いというよりは、どちらでもある(そして、そのことによって、どちらでもない)ことによって、取り敢えず「不在」と名付けられているような「間」。境界ということになるのだが、これが象徴論的な危険を帯びていることは人類学的な事実であろう(取り敢えず、ターナー儀礼の過程』とか、より一般的にはリーチ『文化とコミュニケーション』とかを参照)。昼でもあり夜でもある(昼でもなく夜でもない)黄昏=誰そ彼は「逢魔が時」でもある(例えば、吉田禎吾『魔性の文化誌』)。「間」は「魔」というのが取り敢えずのオチになるか。
内的時間意識の現象学

内的時間意識の現象学

儀礼の過程

儀礼の過程

文化とコミュニケーション―構造人類学入門 (文化人類学叢書)

文化とコミュニケーション―構造人類学入門 (文化人類学叢書)

魔性の文化誌 (1976年) (研究社叢書)

魔性の文化誌 (1976年) (研究社叢書)


風邪で学校を休んだときほど、その人のクラスでの存在意義が問われるというのはよく言う話だ。不在、「間」にこそ真実が宿るのは人間とて同じ。
昔、恩師であるH先生のゼミで、葬式の記念写真を支配しているのはそこには写っていない死者だとか言ったら、誰が葬式で記念写真なんか撮るかと先生に言われた。