ケイパビリティとコミットメント

ちきりん*1「「いつでもやめられる」ことこそ強者の特権」https://chikirin.hatenablog.com/entry/2019/02/14/%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%82%82%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%93%E3%81%9D%E5%BC%B7%E8%80%85%E3%81%AE%E7%89%B9%E6%A8%A9


何故かこのエントリーに強烈な反発も出ているようだけど*2、まあ一応興味深く読んだ。自由とはケイパビリティなりというのはアマルティア・センのテーゼだと思うけど*3、ケイパビリティとは具体的に何を言うかといえば選択肢があることだろう*4。今生きているのとは別様な仕方で生きる可能性を持っているということ。その意味で、既に選択してしまった選択肢をキャンセルできることは自由の重要な条件のひとつと言えるだろう。ちきりんのいう「強者」とは自由な人と言い換えることができる。その一方で、コミットメント或いはエンゲージメントということがある。これは、私たちが選択肢を持つ自由な存在であることを前提として、その自由を自ら放棄或いは凍結することだ。例えば、2人の個人が告白という儀式を経てカップルになること。これは、ほかの個人とセックスする自由を放棄或いは凍結することだ*5。売買の契約にしても、当事者が自分にとって有利であるかも知れない取引を行う自由を放棄することを意味する。一旦契約が締結されたら、もっと高く買ってくれる買い手やもっと安く売ってくれる売り手が出てきても、そちらの方にそのまま鞍替えすることはできない*6現代社会においては、こうした自由の放棄或いは凍結は当事者の自由意志において(のみ)行われなければならないという規範的な要請がある。ビジネス上の契約はともかくとして、恋愛関係や婚姻関係を基礎づける、自らの自由の自由意志による放棄或いは凍結を正当化できるのは〈愛〉ということになるだろうか。愛故に、ということになっても、何故愛するようになったのかという問題が出てくる。注意しなければいけないのは、下手に〈愛〉に理由がつけられ・相対化されてしまうと、愛は愛ではなくなってしまう*7。〈愛〉を損ねずにしかも理由として機能するもの、運命くらいしかないだろう。運命的出会い。You are my destiny! 対人関係だけでなく、モノとお関係においても、こうした運命的な出会いに帰される愛着(attachment)関係というのはあると思う。それを愛といっていいかどうかはわからないけれど、このことは私のためだけではなくて世界というものが存立するために重要な意味を持つ。私にとっての愛着のあるモノを中心に、空間にバイアスがかかり、空間内での濃淡が生まれる。のっぺりとした均質的空間ではなくめりはりの効いた立体的で有意味な世界。しかし、運命的な出会いによる愛着とかを持ち出さなくても、私は世界を、道具としての優秀さによってヒエラルキー化して秩序付けることができるかも知れない。しかし、それが徹底されるとき、世界は世界として消失してしまう。そこでは、世界は既に世界ではなくて、私(主観)の(非本質的な)延長でしかないのだ。何処まで行っても、〈私〉しか見出せない。それに対して、運命的な出会いに帰される愛着の対象は私の主観を超越していることにおいて、有意味な世界の存立を支えているといえる。最近、「ホーム」ということを考える機会があったのだけど*8、「ホーム」とは齟齬なく愛着関係が継続できる場所であるという定義は粗すぎるだろうか。ともかく、大方は正しいちきりんの議論の欠点は、運命や愛着ということを軽視しているということだろうか。

*1:https://twitter.com/InsideCHIKIRIN/ See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081029/1225285895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090213/1234543149 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090720/1248108412 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091028/1256753819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100224/1267021071 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110407/1302191011 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120113/1326474831 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140802/1406943404 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141114/1415939308 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150126/1422251766 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170305/1488723840 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180930/1538274681 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/01/145817

*2:Eg. 「かっちーん!」https://chazuke.hatenadiary.jp/entry/2019/02/15/070000

*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061230/1167454140 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070715/1184522957 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080215/1203008775 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080724/1216907819 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090626/1245987934

*4:因みに、選択肢が多ければいいというわけではない。選択肢が過剰に存在する場合、〈複雑性の海〉に沈んでしまう危険がある。

*5:それだけではないけれど。

*6:違約金など面倒臭いプロセスを踏まなければならない。

*7:Related to https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061029/1162091586 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061109/1163080989

*8:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/14/114144