2004年のテクストであるが、「朱子学は道教」http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_37.htmlを巡って。
やはり「朱子学は道教」ではない。というか、ここには金谷治と岡田英弘からの引用はあるけれど、「朱子学は道教」だということは全然論証されていない。ただ、書いている人が勝手に独りで「朱子学は道教というわけだ」と納得しているだけなのだ。「朱子学」が道家の影響を大きく受けているということは、遅くとも江戸時代から指摘されてきたことであって、今更驚くことではない。「朱子学は道教」というためには、たんに〈理気二元論〉に言及するだけでは足りない。朱子学が理に対して気に存在論的な優位性を認めていることを論証しなければならない。そうでないと、哲学的な意味での観念論と唯物論の区別もできないということになる。気に対する理の優位ということにおいて、朱子学は「道教」*1とは区別され、鋭角的に対立するわけだ。これよりも、朱子学をヘーゲル哲学と並んで客観的観念論の代表に置く従来の哲学事典的な理解の方が妥当であることはいうまでもない。
井筒俊彦先生は、かつて儒家思想がその言語論(井筒先生にとって、言語論は即存在論である)において、東洋思想の他の潮流とは異質なところがあることを指摘していた。その端緒は既に「正名」の議論に見られる。朱子学というか程朱の学はそれをラディカルに突き詰めたものであるのだ。井筒先生の『意識と本質』
- 作者: 井筒俊彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/08/08
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 101回
- この商品を含むブログ (75件) を見る
なお、朱子学以前的な「古代中国の儒学、特に孔子の正名論」は「第三の型」に位置づけられている;
さてその第一の型は普遍的「本質」(マーヒーヤ)は実在するという、この種の「本質」肯定論としては最も基本的な命題から出発する。しかしそれにすぐ続けて、実在するとはいっても、それは存在の深部に実在するのであって、存在の表面に現われているようなものではない、つまり我々の普通の経験において、表層的「……の意識」の「……」として認知される性質のものではない、と主張する。従って、このような「本質」の把握は一種の深層意識現象と見なされるのであって、それが実際に現成するためには、我々認識主体の側にも意識次元の根本的転換が、当然、要請されることになる。物の表層構造しか見えない日常的意識のかわりに、非日常的な意識、つまり深層意識、の特殊な機能が働いて、それによって事物の深層構造を見ることができるようになる必要がある、というのだ(p.72)。
ここでいう「意識次元の根本的転換」は、朱子学の場合、「静坐」であり、それをベースにした「格物窮理」である(p81ff.)。「静坐」は或る意味で〈意識の流れ〉を否定するものであり、現象学との関係で、またベルクソンやジェームズの哲学との関係で興味深いところがあるが、主題から外れるので、精神集中の訓練を積むことによって、〈意識の流れ〉が途切れるところ、つまり「未発」=「心の未発動状態」(p.82)が見えてくるということを指摘するにとどめる。「格物窮理」とは、「静坐」によって得られる精神能力をベースにして、「経験界に拡散するすべての事物を、それぞれの「本質」に還元しつつ、それらを唯一絶対の「本質」まで追求しようとする」ことであり、「経験界にある事物、事象を観察し省察して、それらに内在する先験的「理」を窮め、窮め尽くして、ついに突如として万物の唯一絶対の「理」に翻入する道」(p.83)である。このような実践は表面的には禅と似ている。しかしながら、禅は「本質」を解体するために行われるのに対し、「静坐」や「格物窮理」は「本質」を見いだすために行われるのである。井筒先生は、宋儒たちには「プラトン哲学中期のイデア論のそれと根本的には同じ性質のもの」だという「存在界の事物には必ずそれぞれに「本質」がある、という揺るがしがたい確信」があり、それには「彼らなりの実体験的裏付け」とともに、経典上の裏付けもあったのだと述べている(p.89)。その経典上の裏付けとは、孔子の「正名論」と孟子のいう「有物有必則」である(p.89ff.)。
第三の型は第一の型が深層意識的体験によって捉える普遍的「本質」を、意識の深層ではなく表層で、理知的に認知するところに成立する。目に見える、あるいは直接感覚的に認知できる個物の背後に、それらを超越する形而上的一般者を実在するものとして認めはするけれども、そのような普遍的「本質」を実際に経常的体験を通じて直接無媒介的に捉えようとはしない。ただ理性的に、つまり表層意識的に、「本質」の実在を確認するにとどまる。そしてその上で、あるいはその構造を分析し、あるいはそこから出てくる理論的・実践的帰結を追求するのである(p.73)。
ここまでは、認識論的・方法論的議論である。その一方で、東洋思想において、認識論(意識論)と存在論は一体のものである。「静坐」や「格物窮理」には存在論的側面がある。「静坐」によって恢復されるのは「未発」=「心の未発動状態」であるが、意識即存在の立場からすれば、「未発」は「全存在界のゼロ・ポイント」、「全存在界生起の源泉」でもある――朱子のいう「無極而太極」(p.86)。「道教」との微妙且つ決定的な差異はここにあるといえるかも知れない。
また、
そして存在の「無極」がそのまま存在の「太極」に転じ、その「太極」的側面を通じて、形而上的「未発」が形而下的「已発」として発動していく。この微妙な一点に、全存在界を統合的に基礎づける純形而上的「理」が成立し、この絶対的「理」は自己分節を繰り返しながら、無数の個別的「理」となって我々の経験的世界の事物に「本質」的根拠を与えていく。程伊川の説く「理一分殊」とはそのことである(p.86)。
最後に引用した部分は、朱子学と歴史という主題との関連で重要である。「形而上的「理」が」「形而下的姿で現われる」「我々の経験的世界」というのは、歴史的世界であるからだ。また、現在の歴史教科書が政治問題化する思想的前提もここにあるといえるだろう。
「一物一太極」、「理一分殊」という。だが、宇宙の窮極的根源としての「太極」が、何かそれ自体と違ったものに変って個々の事物の小「太極」になる、というわけではなく、絶対に一なる「理」がばらばらに分裂し、それぞれが独立して部分的に個物に宿るというわけでもない。どこまでも「太極」は一、「理」は唯一である。ただ、この唯一なる「理」に形而上的側面と形而下的側面という、二つの側面、あるいは現成次元、があるだけのことだ。とはいっても、形而下的側面における「理」が我々の経験的世界から遠く離れて独立し、それ自体としては経験界の個物とは直接の関わりをもたないような形で絶対超越的に存立する、というのではない。「理」は我々の経験的世界と根源的に関わっている。その関わりは、形而上的「理」が必然的に形而下的姿で現われる、現われざるを得ない、というところに成立する。ただ、常に必ず形而下化した形で経験界に現われながら、その形而上的側面を、個々の事物の「本質」としてそっくりそのまま保持している。そういう形で、「理」は形而上的であるとともに形而下的でもあるのだ(pp.95-96)。
「朱子学は道教」に戻る。朱子学について、「ご存じのとおり、日本人は、そんなものは受け付けなかったのである」と結ばれている。しかし、これは違う。日本において、朱子学は神道に潜り込む仕方で、主に受容されていったのである。上の井筒先生の区別からすれば、「形而上的側面」というよりは「形而下的側面」といえようか。儒家にとって、唯一なる「理」が歴史に現れた痕跡は史書にある。ヘルマン・オームズが既に指摘しているように、その機能的等価物として日本において選ばれたのが記紀だったのである。本居宣長ら国学者が特に記紀解釈において闘わなければならなかった主要な敵は、朱子学的に牽強付会された記紀解釈であったわけだ。