「多いい」?


ふいんき」や「たいく」の仲間? 「多いい」
Excite Bit コネタ 2014年7月2日 08時00分

ライター情報:田幸和歌子



調べてみると、発音だけでなく、個人のブログやツイッターなどでも文字として「多いい」と書いているものが多数見られた。

これは「体育」→「たいく」、「雰囲気」→「ふいんき」など、耳を頼りに覚えている若者言葉なのだろうか。それとも、方言なのか。
さらに調べてみると、鳥取などの一部地域では「多いい」という言葉が使われるらしいことがわかったが、みんなが鳥取などの出身者とは到底思えない。

そこで、『ワーズハウスへようこそ ついつい間違えてしまう日本語』(金の星社)や『揺れる日本語 どっち?辞典』(小学館/監修)等の著書を持つ東京女子大学・現代教養学部の篠崎晃一教授に聞いてみた。

「『多いい』という言葉が『ふいんき』や『たいく』と同じ“若者言葉”かということですが……。まず『体育』が『たいく』になるのは、『たいいく』と同じ音が並ぶことで、耳から入って縮まったもので、『ふいんき』はまたそれとは別のケースで、どちらも若者言葉ではないんです」

ふいんき」と言う人は若い人だと思っていたけど、違うんですか!?
「『ふいんき』は『ふんいき』の音の位置が入れ替わったもので、『音位転倒(おんいてんとう)』といいます。たとえば、『新しい』は『あらたし』の音が入れ替わったものですし、『山茶花(さざんか)』は『さんざか』が、『舌鼓(したづつみ)』は『したつづみ』が入れ替わったもので、そうした昔からあるパターンなんです」

加えて、「うらやましい」を「うらまやしい」と言ってみたり、「おさわがせ」を「おさがわせ」と言ってみたりする、若者の意図的なアレンジによる「言葉遊び」の例もあるそう。

では、「多いい」の場合は?
「ひとつには、西日本出自のものが東に入ってきたことがあると思います。『濃い』を『こいい』『こゆい』と言ったりすることがありますよね。
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1403420651292.html

同じ形容詞でも『美し・い』『寒・い』などと違って、『濃い』は語幹が“一音節”で不安定になるため、『い』を重ねて二音節にしているんです。長音の「おー」も一音節扱いということです。『おいい』と言うこともあります」

同様に、「えさ(餌)」という言葉は、もともと一音節の「え」という言葉だったのが、安定を保つために接尾語の「さ」がついたものだそう。また、「かぜ(風)」を意味する古語の「し」は消えてしまったが、「つむじ風」を表す「しまき(風巻)」という方言の中に残っている。ちなみに、「あらし(嵐)」は「荒い風(あら+し)」なのだそうだ。
つまり、一音のものは単独では安定しにくいことから、音を重ねることで「おいい(多いい)」「濃いい」となったこと、西日本では同音が並ぶことを好まないことから「濃いい」が「こゆい」となったと考えられるそう。

「『多い』もそれと同じ西日本出自の言葉だと思います。西日本のものが東京や神奈川に伝わると、発信力があるので、全国に広まるというケースは多いのです」

もう一つ、「大きい」と類似した言葉であることもあるのではないかと篠崎教授は言う。
「『多い』が『大きい』に類似していることで、『おおきい』にあわせて『おおいい』になったということです。たとえば、『ちがう(違う)』の過去形として『ちがかった』と言う人がいますよね。これは、『違う』の反対の意味『正しい』の過去形が『正しかった』であることと関係しています。『違う』は動詞なのに、形容詞の『正しい』の過去形とかたちをそろえてしまうことで『ちがかった』となるんです」

今は「多いい」と聞くと、どうも違和感があるけれど、言葉は変化していくもの。
「『言葉の乱れ』などとよく言いますが、乱れというと、規範から外れる感じがしますよね。でも、そもそも言葉の一番重要な手段は、コミュニケーションがとれること。1割の人が知っている正しい用法よりも、9割の人が日常で使っている誤用のほうが、今の人たちにとって言葉の意味を受けとめやすく、生活や感覚になじんでいるいということです」

過去から現代に変わってきたものは、現代から未来に変わる可能性もあり、「多いい」という言葉が一般的になる日も、ないとは言い切れないのかも。
田幸和歌子
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1403420651292.html?_p=2

この記事を読んで、「多いい」なんて誰が言っているんだよ、俺は自分では言わないし、聞いたこともないよ、と最初思った。でも、少し考え直すと、偶にはそういうこともあるかも知れないとか思えてきて、段々と自信がなくなってきたのだが。ただ記事の冒頭で言われているような、〈文字〉としては見たことはまだない。
篠崎晃一さんは色々と仰っているようだが、要するに、日本語における規範的な発音と実際の発音のずれということではないのか。「体育」を殆どの人はタイクと発音するし、「女王」はジョーオーと発音される*1。中にはタイイクという発音に拘っているという人もいるのだろうし、ジョーオーという発音を聴いた途端に鞭を振り下ろす女王様もいるのだろうけど。ただ気に喰わないのは、その規範って奴があからさまに恣意的であることだ。〈言う〉という動詞はユウと発音されることが多い。また〈行く〉はユク。しかし、〈行く〉をユクと仮名書きすることは許容されるのに、〈言う〉をユウと仮名書きすることは許容されない。これって不公平じゃないの? また「詩歌」の念み方はシカが正しいにも拘わらず、〈しいか〉と発音し、そう仮名を振るのは許容されているというか、寧ろ普通であろう。でも、シイカ(詩歌)がよくてジョウオウ(女王)が駄目だというのは納得できない。また、さらに問題なのは、国語教育とかの領域を超えて、例えばATOKなどの日本語入力システムもそうした規範に迎合しているということだ。yuuと入力しても〈言う〉に変換してくれないけれど、shiikaと入力すれば〈詩歌〉に変換してくれる。ATOKは醜悪きわまりない「城内式ローマ字」*2に対しても寛容である。こんなものに寛容になるんだったら、ジョウオウ(女王)とかにも寛容になって欲しいと思う。勿論、「多いい」にも!
ところで、「一音節」の言葉が「不安定」というのは、(下ネタになってしまうので具体例は挙げないけど)日本語にやたら〈こ(子)〉がつく言葉が多い所以なのでしょう。中国語にやたら子(zi)がつく言葉が多いのも同様の事情か。