吉岡洋『AIを美学する』*1。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』*2について。
(前略)たしかにこれは一九世紀初頭のいわゆる「ゴシック小説」と呼ばれるジャンルに属し、現代の読者にとって、けっして読みやすい作品とは言い難い。マッド・サイエンティストが人造人間を発明するSFかと思って読み始めると、最初の三分の一くらいはフランケンシュタイン白紙の生い立ちや家族関係が長々と語られ、いったい何の話なんだろうと思う。中盤でやっと怪物自身が登場し、自分語りを始める。望みもしないのに造られてどんな苦労をしたか、人間と仲良くなろうとしたのに姿の醜さから虐待、排除され、隠れ棲みつつも何とか言葉を習得し、本も読めるようになった、といった告白が続くのである。
(略)いったいどんな方法で怪物を造ったのかという技術の詳細は最後までよく分からない。フランケンシュタイン博士は少年時代、アグリッパやパラケルラスのような中世の神秘思想家たちに耽溺していたようだ。「ヘルメス主義」と呼ばれる西洋神秘思想の中にはたしかに、錬金術的操作によって人造人間(ホモンクルス)を造るという考え方がある。けれどもインゴールシュタットの大学に入学すると、教授たちからそんな知識は今どき時代錯誤だと言って笑われる。そして電気現象の研究をはじめとする当時(一八世紀末)最先端の自然哲学に触れて、優秀な研究者になってゆくのである。つまり怪物は、その制作方法の詳細は不明であるが、どうやらヨーロッパの古い神秘思想と、当時の新しい自然科学的知識とが合体することで生まれたものらしいと想像できるのである。
「フランケンシュタイン」は、その名前とイメージだけが一人歩きしているので、オリジナルとは遠くかけ離れた誤解が広がってしまった。(略)フランケンシュタインとは、この物語の中で怪物を造り出した科学者ヴィクター・フランケンシュタイン博士の姓であって、怪物の名前ではない。怪物自身には名前がないのである。(略)造られたものがその造り主の名前で呼ばれるようになったことは、それはそれで意味深長であるとも言える。というのも怪物とフランケンシュタインとの関係は、キリスト教における被造物(人間)と創造者(神)の関係に重なるからである。怪物をフランケンシュタインと呼ぶのは、いわば人間が神の名で呼ばれることとパラレルだということになる。さらには、そこに異教的(非キリスト教的)要素も重なっている。原作の副題に「現代のプロメテウス」とあるのは、人間に火をもたらしたとされる(一説には人間を創造したと言われる)ギリシア神話の神の、現代版ということである。プロメテウスはその所業によって凄まじい罰――巨大な鷲に肝臓を啄まれ続ける――を受けることになる。小説の主人公であるフランケンシュタイン博士が最後は怪物を追いかけて北極に行き死んでしまうという運命も、造ってはならないものを造った罰であるように思える。
さらに、私たちが許攸している怪物の典型的なビジュアル・イメージも、けっして原作に忠実であるわけではない。怪物が人間離れした巨漢であったと書いてあるが、具体的にどんな風貌をしていたのか、原作ではまったく定かでない。たしかに、それを見た人が怖れ嫌悪したのだから、イケメンでなかったことは確かだろうが、原作では「この世ならぬ」とか「身の毛もよだつ」醜さといった表現で書いてあるだけで、どんなふうに醜いのかはよく分からない。(後略)(pp.64-66)
だが、フランケンシュタインの物語をめぐるもっとも重大な誤解は、この怪物自身が世界をどのように経験していたかという、原作の中心部分をなす内容が、ほとんど伝わっていないという点に由来する。「フランケンシュタイン」という名前は、生命や人間(のようなもの)を人工的に創造することで人類が神の領域を冒したために。大きな厄災が発生する(つまり神罰を受ける)という、一神教に特徴的な物語と結びついた言葉として広がってきた。そこでは怪物そのものはひたすら恐ろしい存在、最初から人間に敵意を抱き人間を滅ぼそうとする脅威であるかのように想像されている。だがこれは原作からすれば正しくない。怪物はそれほど人間に敵意を抱いているわけではないからである。怪物を恐るべきものとして想像するのは、ほとんど人間側からの不安の投影だと言っていい。
原作ではむしろ怪物の語りの方が、フランケンシュタイン博士のそれよりもよほど説得的である。読者は、その告白が怪物によるものと知りつつ、共感せざるをえないように書かれている。怪物は、本来は友好的で人間よりも理性的な存在であるようにすらみえる。そればかりでなく驚異的な知性を持っており、逆境にありながらわずかな間に磁力で言葉も習得して、プルタルコスのような古典文学や、当時のベストセラーであったゲーテの『若きウェルテルの悩み』、そしてミルトンの『失楽園』を読んで理解しているのである。性格も攻撃的ではなく穏やかであるようにみえる。たしかに怪物はヴィクター・フランケンシュタイン博士の幼い弟ウィリアムを殺してしまうが、それも怪物の告白を信じるなら、その子が自分を見てあまり騒ぐので黙らせようと喉をつかんだら死んでしまった、と言うのである。つまり怪物はまだ自分の力や人間の子供の弱さを知らず、したがって殺害は過失の結果だったことになる(略)
とにかく全体としてこの物語の中では、恐怖に駆られて取り乱しているのはフランケンシュタイン博士の方であって、怪物は少なくとも最初は冷静な取引きを望んでいたようだ、という印象は否定できない。怪物は博士と交渉し、自分の姿が人間には許容できない醜悪なものであることは分かった、しかし自分は孤独なので女のパートナーを造ってくれないか、そうすれば二人して二度と人間の目に振れないような場所に隠棲すると約束する。博士はいったんはこの取引きに応じて女の怪物を製作し始めるのだが、途中で不安の発作に駆られてしまう。たしかに二度と人間の前に現れないと怪物は言っているが、女の怪物もその約束を守るという保証はない。そして男女――つまり怪物のアダムとイブ――を造ってしまったら、子供が生まれるだろう。怪物の子孫たちは、自分たちの親を虐待した造り主を恨むようになり、人類の復讐するために帰ってくるのではないだろうか……。(pp.67-69)
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/02/24/195439 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/04/18/095924 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/05/18/190544 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/11/07/131427 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/11/18/111630
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20050810 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080819/1219149610 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090819/1250711074 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110813/1313262503 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120614/1339683625 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171029/1509302860 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/05/125721 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/06/01/104401 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/04/18/095924 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/06/27/102123 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/08/22/122601 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/11/06/143336 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/11/18/111630

