岩崎夏海騒動

岩崎夏海*1を巡ってlittle earthquakeが起こっているらしい。


「なぜ『エースの系譜』は売れなかったのか」http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20110813/p1


(『エースを狙え』じゃなくて)『エースの系譜』という本が出ていること自体を知らなかった。このエントリーでは、『エースの系譜』というタイトルについていちゃもんがつけられているのだけど、それを読んでいて、くすくす笑ってしまう;


名は体を現すという言葉があるように、本にとってタイトルは命である。それ一つで売り上げが決まってしまうと言っても過言ではない。

 だからこそ作家や出版社に勤める編集者達は日々額に汗を流しながら、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『僕は友達が少ない』『モテモテな僕は世界まで救っちゃうんだぜ(泣)』『淫乱団地妻昼下がりの情事4 〜生協職員を襲う超絶フェラ60分〜』などというタイトルを捻り出すのだ。

 それぐらいタイトルとは重要なのである。そして、優れたタイトルというものは一目で作品の内容を表すものだ。

 たとえば『空手バカ一代』というタイトルを見れば、「バカが空手をする一代記なんだろうなあ」とわかるだろうし、『巨人の星』というタイトルを見れば、「ジェイムズ・P・ホーガンの『巨人たちの星』のパロディなんだろうなあ」と察することができるのである。

 そういう意味で、氏の前作である『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』は素晴らしいタイトルである。見ただけ内容の八割がわかる。

 このタイトルを見て、「死刑制度の是非について熱く論じているに違いない」「サッカー部を舞台にした青春ラブストーリーかな?」と勘違いする人は現れず、どのようなボンクラでも「高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読むんだろうなあ」ぐらいの推測は可能であろう。

 翻って、二作目である『エースの系譜』。

 うん、いったいどんな話なのか想像がつかない。いったい、このエースとは何のエースなのか?

 トランプの話かもしれないし、戦闘機乗りの話かもしれないし、もしかすると新宿にある小田急エースの話なのかもしれない。

 その正体の掴めないエースでさらに系譜である。

 一体これはどんな話なのか?

 タイトルだけでは内容が掴めない。これは大きなマイナス要因である。

ただ、「タイトルだけでは内容が掴めない」というのは悪いことではないよ。逆に、タイトルだけで「内容の八割がわかる」ならわざわざ買って、或いは図書館で借りて読む必要はないじゃんということも言えるだろう。
このエントリーで知ったのだが、岩崎本人が「「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命」という凄いタイトルのエントリーを書いている*2。タイトルに惹かれて読んだのだけど、その内容は『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』に対する某読者の批判的感想*3に対する反論or言い訳orお説教。私もLobotomy氏と同様に『もしドラ』を読んでいないので、内容、つまりどちらの解釈が正しいのかということには立入らない。『もしドラ』の内容とは関係なく凄いと思ったのは、最初の方の岩崎による正当化である;

今でも『もしドラ』のことを「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」ととらえている人たちがいる。しかしそれは、あまりにも合理性を欠いた意見だ。

そもそも『もしドラ』がブームと世間で認知され始めたのは、2010年3月にNHKの『クローズアップ現代』で取りあげられた頃からである(実際にはもっと早く、2010年初頭には書店で話題になっていた)。そうして、それから実に1年半近くもの歳月が経過したが、その間に上記3つのような評価――すなわち「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」のどれか一つでも確定され、そのことのコンセンサスが醸成されるようになったならば、どこかでいわゆるブームというものは収束して、とっくに売れなくなっていたはずだろう。

ところが、事実はそうはならず、本はいまだに読まれ続けている。しかも、それはリアルの書店のことだけではなく、原則的にネットユーザーしか使わないAmazonのベストセラーランキングにおいても、今日現在もまだ100位以内である(これを書いている時点では92位で、もう通算で600日を超えた)。

ところで、yaneuraoさんが言った「ところが、私が今回の記事を書いて、1日でこの記事に1万PV程度あったわけですが、誰ひとりとして、「この書店員はこれこれこういう考えでドラッカーを川島みなみに勧めたんだよ。そんなこともわかんないの?」というようなコメントをしないんですよねぇ。(コメント欄、はてブtwitter含めて)」というのは、まぎれもない事実であろう。それは、Amazonのコメント欄を見てもよく分かるが、最近は取り分け酷評が目立つ。

* Amazonの最近のレビュー*4

しかしながら、それでも本は読まれ続けている。しかも、Amazonでも売れ続けている。

なぜか?

それは、「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」という意見に同調する人が、実はマイノリティでしかないだからだ。yaneuraoさんの記事やAmazonに酷評を書く人は、文字通りの「ノイジー・マイノリティ」なのである。

そうして、その裏には膨大な「サイレント・マジョリティー」がいる。なにしろ270万もの方々に読んで頂いた本である。しかも、1年8ヶ月もの長きに渡ってだ。Amazonで最初の星1――つまり最初の酷評がネットに掲載されてからも、すでに1年半が経っている。しかし『もしドラ』は、その時よりもさらに250万部増刷したのだ(その時点では20万部くらいだった)。

あるいは、yaneuraoさんは、「『もしドラ』には、上記3つのネガティブ要素を補ってあまりある何かがあったから250万部増刷した」と言うだろうか? しかし、本において「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」というネガティブ要素を、1年半、250万部も増刷するほどに補える何かというのは、この世に存在するのだろうか? あると言うなら、それはちっとも合理的な説明ではない。それは、ちっとも現実的な説明ではない。

従って、合理的、現実的に考えるなら、「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」という評価こそが、実はマイノリティで、ネットには、たまたまそういう人たちが蝟集しているだけのことなのだ。ネットの酷評は、それで全部なのである。『もしドラ』を良く思わなかった人たちの全員がそこに集合していて、それはだいたい160人くらい(Amazonの星1と星2を足した数)なのだ。

つまりその160人、割合にして言うと2,700,000分の160が、「読解力が不足している」人たちである。だからこそ、Amazonでいかに酷評されようとも、あるいはyaneuraoさんのエントリーにそういう方々が蝟集し、だれ一人yaneuraoさんに反論せずとも、『もしドラ』は読まれ続けているのだ。それは、そう考えてみると実に真っ当な道理であり、合理的で、しかも現実的な説明だ。

「ノイジー・マイノリティ」と「サイレント・マジョリティー」ね。でも、そういうタームで自らを正当化することが、阿呆な政治家ならともかく〈文学者〉に許されるのかという問題はあると思う。昔60年安保の頃、安保安保とデモをしているのは〈少数〉で真の〈多数派〉はTVで野球を視ていると岸信介*5が言っていなかったっけ。また、私の好きな保坂和志金井美恵子といった人々の本の売れ行きは『もしドラ』には遠く及ばないだろう。だからといって、岩崎夏海保坂和志金井美恵子よりも文学史的に重要だと言えるのだろうか。そんなことは絶対にあり得ない。なお、「もし五島勉ノストラダムスの『百詩篇集』を読んだら」が「売れたからといっていい本とはまったく限らない」ということを五島勉の『ノストラダムス』本を例に出して説いている*6。この中で、washburn氏は『もしドラ』や岩崎の「反論」のエクリチュールとしての質に対する批判も行っているのだが、上述のように『もしドラ』を読んでいないので、その是非については何もいえない。ただ、私が岩崎のエクリチュールにどう反応したのかということについては、彼に言及した過去エントリーをご参照あれ。
岩崎は『小説の読み方の教科書』という本を近く出すようなのだが、それがどのようなものなのかは上記エントリーでは何もいっていない。まあ「小説の読み方に教科書なんているのか」という疑問は共有する*7。ただ、世の中には小説の目的意識的或いは理論的な読み方、つまり批評というものがあるわけで、どのような批評理論が存在しており、批評理論を使ってどのように小説を解釈することができるのかということを知るということは無意味ではないだろう。以前にも言及した*8川口喬一『小説の解釈戦略』と廣野由美子『批評理論入門』をマークしておく。この2冊の方が面白いと思うよ。
小説の解釈戦略(ゲーム)―『嵐が丘』を読む (Fukutake Books)

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批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

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まあ、これも山下達郎みたいに「僕の人生に必要ありません。向こうも同じだろうけど(笑)」*9で済ませてよろしい問題ではあるな。