小さいは大きい

〈小人プロレス〉*1を巡る(意図的/非意図的な)事実誤認はいまだにかびすましさが衰えないが。

種村季弘*2『江戸東京《奇想》徘徊記』11章「本所領国子供の世界」に曰く、


こちらも回向院*3に詣でるのは久しぶりだ。ここは来るたびに一回りずつ小さくなっているような気がするが、まわりの建物がマンモス化したためだろうか。それでも鼠小僧の欠き墓(ばくち打ちに縁起が良いというので、鼠小僧の墓前にはそれ専用の欠き墓が設けられているのだ)も、力士が奉納した力塚もまだ現役だ。
鼠小僧、力士とたまたま並べてみると、どうも領国は小人と巨人の町という気がしてならない。げんにそこらを歩いていると、自転車に乗ったお相撲さんがコインランドリーに入っていくのを見かける。子供はどこにでもいるが、お相撲さんが珍しくない町はめったにない。
ゲーテの『ファウスト第二部』の第二幕「古代ワルプルギスの夜」に、ダクチュロス、ピグマイオス、カベイロスといった族名の小人がうようよしている場面がある。これはすべて古代地中海の島々にいた鍛冶の神々で、彼らを統率する大母神の装身具や武器などをせっせと作っていた。彼らは非常に矛盾した性格の持主で、小人であるはずなのに、たとえばカベイロスは「船乗りたちによってメガロイ・テロイ(大いなる神々)と呼ばれた。」(カール・ケレーニイ『ギリシアの神話』)。つまりこれらの小人は巨人でもあった。というよりも、神話世界では、巨人も図体の大きい小人の一種と考えられていたのだ。
そう思うと領国界隈に子供の精霊のようなものがうようよしていて、そこをお相撲さんが自転車で走ってくる風景に納得がゆく。裏通りにまわり込むと四十七士討ち入りで名高い吉良上野介邸跡が小公園になってひっそり。
そういえば勝海舟の生家跡の碑のある両国公園のあたりに一軒、昔ながらの駄菓子屋があったな。記憶をたどって行ってみると、果せるかな駄菓子屋は健在で、真向いの公園にはどこから出てきたのだろうとびっくりするくらい大勢の子供が遊んでいる。(pp.110-111)