スケープゴート?

 本来ならば、「ライブドア」を日本型新自由主義の症候として批判すべきなのだが、どうもそこに到る前提として、ここぞとばかりに「ライブドア」を〈批判〉する人たちを批判することの方が取り敢えず重要であるようだ。
 「ライブドア」或いはホリエモンスケープゴートである。それも、thessalonike2氏が


これも想像だが、検察がライブドア捜査を決断するに際しては、内々に財務省の援護があったのではないだろうか。つまり、ライブドアと同じように株式取引とM&Aで巨額の利益を上げながら、脱税して国庫に税金を納めていない新興企業が多くあり、それらに対する一罰百戒の目的で象徴としてライブドアに捜査の照準が合わされたのではないかと推測する。マザーズに上場している多くの新興企業がライブドアと同じ手口で粉飾決算と脱税を繰り返していて、それが公然と見過ごされているのに違いない。
(「自殺じゃない、殺人事件だ − 検察は直ちに堀江の身柄拘束を」http://critic2.exblog.jp/2518513/
という意味ではない。民俗学的な意味である。つまり、世界の禍を背負わされ祀り棄てられるもの。ありとあらゆる禍事が「ライブドア」或いはホリエモンに転写される。〈負け組〉は我が身の不運を、〈勝ち組〉は自らの道徳的疚しさを、「ライブドア」或いはホリエモンに託して、お焚上げしようとしているかのようだ。もう〈どんと焼き〉は終わってしまったが。だから、記号論的にいえば、「ライブドア」或いはホリエモンは〈零記号〉であり、何事をも意味する(しうる)とともに何事をも意味しない。
 例えば、gomasterという人の「ライブドアスーパーフリー」というテクスト*1を読んでみる。曰く、

比較するのもなんだが、だんだん馬鹿田大学のレイプサークル「スーパーフリー」と同じに見えてきた。近鉄買収騒動から、プロ野球参入、ニッポン放送買収劇から衆院選出馬、そして宇宙旅行企画などなど。
おいおい、「スーパーフリー」かよ。また、

堀江氏の顔と、スーパーフリーの和田氏、そしてオウム真理教の麻原氏とその側近たち、また組織経営とは異なるが、有栖川宮を語って詐欺を行った男女や、米国大学卒業を経歴詐称した古賀前議員などの面々と、オーバーラップして見えるのは私だけだろうか。
つまり、「ライブドア」或いはホリエモンというのは、「スーパーフリー」、「オウム真理教」、「有栖川宮」、「古賀前議員」などと置き換え可能な存在なのである。つまり、何でも意味する。ここに挙げられたのは、何れも、世間から〈悪〉と名指され、ワイド・ショー等のメディアを賑わせた個人・団体である*2
 さて、何故「近鉄買収騒動から、プロ野球参入、ニッポン放送買収劇から衆院選出馬、そして宇宙旅行企画などなど」から「スーパーフリー」が連想されたのかはわからないが、これら一連の「ライブドア」或いはホリエモンの名を高めた出来事を私たちは娯しんだ筈だ。「ライブドア」或いはホリエモンが何かをやらかすたびに、〈エスタブリッシュメント〉が相対化され愚弄された。それによって、鬱屈から解放され、世界は活性化された(と少なくとも思い込んだ)。我々は娯しみ、メディアは視聴率やら販売部数やらを稼いだ。ところがもうお祭りは終わりだから、〈カーニヴァルの王様〉はもう焼き捨てなくちゃっていう感じなのだ。勿論、このお焚上げこそがお祭りのクライマックスであるわけだが。それで、我々は道徳的に浄化されるというわけ。堀江がお縄頂戴になるのかどうかわからないが、とにかく何らかの決着がついて、我々も飽きてしまえば、また何かやらかす人(団体)が現れて、また新たにお祭りが始まるのだろう。
 こういうお祭りが何か虚しいのは、民俗宗教における祭の動機が何よりも世界(宇宙)への配慮であり、世界(宇宙)の活性化が問題であったのに対して、こちらのモダンなお祭りの方で問題になっているのは、個人の心への配慮、個人の(疚しさ)からの道徳的浄化だからだろう。コスモロジーからサイコロジーへ、嗚呼。
 お祭りが終われば、また〈退屈〉な日常生活が再開される。〈ホリエモン〉が仮令殺されたとしても、それが体現していた新自由主義が終わるわけではない。批判が始まる地点というのはまさにここであろう。

*1:http://plaza.rakuten.co.jp/goaheadgo/diary/200601210000/

*2:宅間守などの名前が挙がっていないが、ここに名前を挙げられた連中に共通するのは、どことなく三枚目的な滑稽さがあるということである。つまり、道化的存在なのだ。因みに、私は「有栖川宮」と古賀ちぇんちぇーは全然悪いと思ってはいない。古賀ちぇんちぇーは軽蔑されるべき人であって、指弾されるべき人ではない。「有栖川宮」については、種村季弘先生が元気だったらどんなコメントを発したか想像するだけでも愉しい。勿論、カリオストロ伯爵とは比べものにならないので、コメントに値せずだったかもしれないが。