「亡霊」に躓き

磯前順一『石母田正 暗黒のなかで眼をみひらき』*1から。
石母田が1952年3月に上梓した『歴史と民族の発見』について。


戦後マルクス主義歴史学ナショナリズムという亡霊につまずいた傷痕、それが、今日、石母田正『歴史と民族の発見』に与えられた戦後思想史上の評価といえよう。石母田は、マルクス主義を信条とする立場から現実の社会変革を模索するなかで、敗戦直後から一九七〇年代初頭にかけて日本歴史学の可能性を切り拓いてきた戦後を代表する知識人である。数多くある著作のなかでも、いまだ焦土のにおいが残る一九四六年に出版された『中世的世界の形成』は、中世黎明期における古代権力に抗う人の苦闘と挫折の歴史を描くことで、戦時下の体制に耐え忍んできた人々の生々しい記憶に明確なかたちを与え、若き日の石母田を一躍世に知らしめた。(pp.119-120)
「人民の立場からの社会変革、国家権力の批判、この二つが彼の学問をささえる太い柱であった」(p.120)。『歴史と民族の発見』は「このような石母田の学問観にもとづき、一九五〇年代初頭の社会状況において歴史学が果たすべき実践的意義、「民族の誇りと伝統をどうしたら一人でも多くの日本人に理解してもらうか」を説いた書物」である(ibid.)。また、「続編」が1953年2月に刊行されている。

『歴史と民族の発見』は敗戦後、合衆国の占領下におかれていた日本が政治的独立を回復してゆけるか否かという「民族の危機」状況にあるという認識下、「日本では帝国主義の隷属から民族が独立することが当面の段階」という戦略にもとに(sic.)書き綴られたものである。当初の書名が「危機における歴史学の課題」であったことが示すように、石母田は当初の状況を「革命的危機」のもとにあると捉えたうえで、次のように自らの学問的実践にたいする考えを述べる。

戦後の数年間のわれわれの歴史においての根本的な変化は、帝国主義にたいする日本民族の隷属の傾向が明確になってきたこと、日本民族の生存と進歩は民族の独立を達成することなくしてはあり得ない情勢になってきたことにあります。……*2[サンフランシスコ平和条約と安保条約の締結を直前にして]*3民族の危機はますます深刻になりつつあり、民族解放の問題はすべての日本人の第一義的な問題になっております。このような情勢と危機をはたしてわれわれの学問は敏感に反応しておるでしょうか、民族の危機を解決するためにわれわれ社会科学者は学問的にどれだけの寄与をしたでしょうか。(傍点*4は磯前)    (「歴史学における民族の問題」)
(pp.121-122)

正編はそれが刊行された一九五二年中に九刷一万七〇〇部、続編は五三年中に二刷一万三〇〇〇部が印刷されたという。そして、六〇年の安保運動期に再び求めが多くなり、正編は八一年までに二五刷三二〇〇部、続編は七七年までに一四刷一万九五〇〇部を数えたという。しかし、政治的な運動の退潮後は歴史学では、『歴史と民族の発見』はその名前に言及することさえ忌み嫌われるようになり、現在にいたる。そのあたりの経緯を、彼と時代をともに歩んできた藤間*5は次のように説明する。

[石母田の]多くの著作のなかで……*6『歴史と民族の発見』の一巻の実は、政治状況と研究者の思想と心情に基づく激しい毀誉褒貶に直面することになった。念のため書いておくと、政治状況というのは一九五五年の日本共産党の第六回全国協議会(六全協)で、一九五〇年以降続いていた党の分裂に終止符をうち、旧来の党の「極左冒険主義」の政策と行動を破棄する事件のことをいう。『歴史と民族の発見』で重要な目標となった「国民のための歴史学」の運動、それを実現するための手段の一つになった「村の歴史・工場の歴史」の作成、そのための農民・労働者との接触の勧め等々を、「極左冒険主義」の一環ないしはその亜流と見なした人々がいたのである。 (藤間「解説」*7
石母田らのいうところの「国民のための歴史学」とは、日本共産党の反米帝国主義のスローガンのもと、民俗的独立を獲得すべく日本の人々を武装闘争へと組織しようとするものを指す。コミンフォルム、すなわちスターリンが書記長をつとめるソ連の指導下、日本共産党は当面の課題を社会主義革命から、反米=民族独立戦線の形成へと切り替えていた。その戦略のもとに、石母田ら共産党系の歴史学者は、歴史意識をつうじて日本人の愛国心を呼び覚まし、旧来の階級に代えて、民族意識のもとへと国民を結集させる役割を担うことになる。
その結果、合衆国の帝国主義という外部の敵に出会ったとき、日本の内部が等質な一枚岩なものとして設定されてしまうことは、この時期の彼の民族をめぐる議論から容易に見てとれるところである。その代表的なものとして、この本の書名「歴史と民族の発見」の由来を自らの学問の役割に託して説明した次の発言がある。

民族を発見することで、はじめて私は自分の歴史の発見に表現を見出したようにおもっております。……*8この歴史と民族の発見が、学問的に何を創造できるか、ということについては、すべてはこれからだとおもっています。それは民族の誇りと伝統をどうしたら一人でも多くの日本人に自覚してもらうか、日本人がもっている地盤をどうしたらはっきりした自覚にまでもたらすかという実践をともなってはじめて学問的な創造になり得ると存じます。 (「序  歴史と民族の発見」)
(pp.123-125)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/06/28/115148 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/07/094949

*2:これは磯前氏による省略。

*3:磯前氏による補足。

*4:ここでは省略した。

*5:藤間生大

*6:磯前氏による省略。

*7:平凡社ライブラリー版への「解説」。

*8:磯前氏による省略。