角力と「葬送儀礼」

『毎日』と『朝日』の記事;


松浪副文科相相撲協会を批判し朝青龍を擁護

 松浪健四郎文部科学相は29日、同省内で就任会見を開き、大相撲の横綱朝青龍が母国モンゴルに帰国したことなどに関連して、「日本相撲協会は(国技としての)伝統、歴史、文化を言う資格はない」と日本相撲協会を痛烈に批判する一方、「遊牧騎馬民族の精神的な違いへの理解が相撲協会、ファンは欠落している」と朝青龍を擁護した。

 松浪副文科相は「相撲は葬送儀礼として始まった。元横綱琴桜が亡くなった時、葬送儀礼として土俵入りをしなければいけなかったが、そんなこともしなかった。相撲協会は歴史や文化を言うならば、そこまでやるべきだった」と持論を展開した。【高山純二】

毎日新聞 2007年8月29日 21時46分
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/battle/news/20070830k0000m010101000c.html


松浪文科副大臣相撲協会は伝統文化を言う資格ない」

2007年08月29日20時26分

 「相撲協会は、伝統、歴史、文化を言う資格はない」――。29日に就任したばかりの松浪健四郎文部科学副大臣が、朝青龍問題に関する日本相撲協会の対応を痛烈に批判した。

 朝青龍関と長いつきあいがあるという松浪氏は、大相撲などスポーツを担当する副大臣に就任。朝青龍問題での協会の対応について「小さいときから培われた思想が(日本人とは)違うという理解が欠落している。今までの小さな不祥事をあわせて一本という形で重い罰を与えたが、その折々に注意しておけばよかった」と指摘した。

 そのうえで「協会は、伝統、歴史、文化を言う資格はない。相撲は葬送儀礼として始まったのに、元横綱琴桜(先代佐渡ケ嶽親方)が亡くなった時も、相撲も土俵入りもしなかった」と批判。「財団法人として文科省の思い通りにちゃんと運営してくれているか、これから見直していかないといけない」とまで言及した。
http://www.asahi.com/sports/update/0829/TKY200708290261.html

先ず松浪健四郎氏がそもそも文化人類学者であったことを想起しなければならない。どちらの記事にも「相撲は葬送儀礼として始まった」という発言がある。しかし、このことは知らなかった。宮本徳蔵氏の『力士漂泊』(小沢書店、1985)ではどうだったか。しかしながら、宮本氏の本は現在手許にない。 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070202/1170416965でも述べたように、たしかに角力は宗教的なものである。例えば、病に臥した大名がお抱えの力士を呼んで、治癒のために枕元で四股を踏ませたという話は読んだことがある。また、日本各地で行われている神事としての角力は私の知る限り、予祝儀礼としてあるんじゃないだろうか。例えば、海と山が対戦して、海が勝てば豊漁、山が勝てば豊作とか。日本における相撲の始祖である野見宿禰はたしかにそれまでの生身の人間を天皇の墓に生き埋めにする仕方を埴輪を埋める仕方に改め、土師氏、菅原氏の始祖となり、土師氏は長く天皇の葬儀を司っていた*1。このことと関係があるのか。また、無縁仏が葬られた回向院がある両国というトポスを考えれば、角力には〈死〉の影が纏わりついているということも理解でき、松浪氏の発言もかなり納得してしまったのだ。或いは、靖国神社の奉納相撲の意味は? 東北大学角力を宗教学的に研究された内館牧子先生なら何か書いていらっしゃるかも知れないが、如何?