花は

産経抄』というコラムの「地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは、人が農耕を始めてからのことだという」という文言*1に対して、木走さん曰く、


 「地球上にきれいな花がたくさん登場するようになったのは、人が農耕を始めてからのことだという」とありますが、これって本当なのでしょうか。

 理由が「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」とありますが、うーん、私の勉強不足からか、この説は初めて耳にしたのであります。

 しかしなあ、きれいな花がたくさん登場したのは、人が農耕を始めてからのことという説が本当ならば、たしか人類の農耕の歴史は8000年ほど前、まあたかだかここ一万年のことでありますから、これは進化の時間尺としてはとても短くて時間が足りないと思うわけですが、「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」が科学的に正しい考えだとしても、新たな環境に適者生存・分化・進化し多様な種をもたらすには、8000年ではあまりにも時間が足らないのではないでしょうか。

 農耕文化の発達と共に、主として、食用の野菜や果物や観賞用の花々が人類の手によって品種改良が施され結果として一部の花のその種類を人工的に増やしたという人口淘汰・品種改良の話しならば納得できるのですが、わずか8000年で「原始林が切り開かれて、できた草地に適していたのが、花を付け種子を残す植物だったから」という理由で、「きれいな花がたくさん登場したのは、人が農耕を始めてから」だと言われても、ちょっと疑問に思ってしまうのであります。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080421/1208751445

これに関しては、「学校で教わった記憶ない」し、わからない。ただ、こうした議論は人間が栽培以前に採集という仕方で植物と関わっていた(いる)という事実を忘却しているとはいっておこう。また、「農耕」が最初から「原始林」を「切り開」いて行われたかどうかも疑問だ。最初は、人間の残飯やら排泄物やらで土地の栄養価が高くなっている居住地の周辺や上流からの栄養価の高い土が堆積している川原とかで行われたと推測する方が自然ではないのか。
さて、花ということで、ハナは先端であり、人体の先端にあるのは鼻である。また、サク。咲は先、崎、岬であり、裂や割でもある。そういえば、昔山下正男『植物と哲学』という本を読んだなということを思い出す。
植物と哲学 (1977年) (中公新書)

植物と哲学 (1977年) (中公新書)

チューリップを栽培する農家は球根に栄養を行き渡らせるために花を直ぐに落としてしまうが、チューリップの切り落としという振る舞いがショックを喚起するのは、それが人間の首を切り落とすことを連想させるからではあるまいか。薔薇が西洋においてそのような東洋的なエレガントな残酷と結び付けられてイメージされていたことは、種村季弘『薔薇十字の魔法』に記されていたか。因みに、ばらという大和言葉の由来は知らない。