岩国のことなど

安田浩一*1「日本を支配する町? 「田布施システム」の謎を安田浩一が解き明かす」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57383


2016年に清義明氏の「陰謀論田布施システム」とはなにか −三宅洋平氏が信じる日本近現代史ユダヤ陰謀論*2をマークしつつ、「時間に隙間ができたら、「田布施システム」論について、所見を綴ってみたいと思っている」と書いたのだが*3、全然「綴って」いない。ということを、安田浩一氏の田布施現地レポート(前編)を読んで思い出した。


田布施システム」──いつのころからか、日本の権力構造を表すキーワードだとして、ネットを中心に流布されるようになった言葉だ。

ネットに疎い私でも知っているのは、いまやオフラインの日常語として定着しているからでもあろう。

一種の陰謀論である。例えば、以下のような。

・幕末に、天皇田布施出身の若者が入れ替わった。それ以来、田布施の出身者や関係者によって日本は支配されている。

・実際、田布施とその周辺の町は日本の首相を数多く輩出している。

田布施の背後にはユダヤ資本が存在する。

朝鮮人の日本支配にも田布施は関わっている。

そう、日本を動かしているのは永田町でも霞が関でもなく、その場所さえ大半の日本人は知らない、田布施という名の田舎町だった、そして、その田布施の意向で日本が歴史を刻んできた──という話なのである。


だが、「田布施システム」の存在を信じるのは必ずしもネトウヨとは限らない。

たとえば音楽家政治活動家三宅洋平が、かつて出馬した2016年の参議院選挙で、大真面目に「田布施システム」の存在に言及したのはよく知られた話だ(後に事実を検証できなかったとして謝罪)。

右派の一部は「朝鮮人支配」の証拠として、逆に、左派の一部は「自民党独裁」の象徴として、ともに田舎町の存在を位置づけているのである。

そのネタ本として挙げられているのは、鹿島昇『裏切られた三人の天皇』と鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』。さらに詳しく「田布施システム」論を見ると、

幕末、伊藤博文らによって孝明天皇が暗殺され、田布施村(当時)出身の奇兵隊士・大室寅之祐(おおむろ・とらのすけ)なる人物が"替え玉"として明治天皇に即位した。

孝明天皇暗殺は長州藩の影響力を未来永劫、保持することが目的だった(公武合体派の孝明天皇長州閥を快く思っていなかったとされる)。

大室寅之祐天皇に即位した結果、田布施出身者が日本を動かすようになった──というストーリーだ。

近代日本の起源たる明治維新に、隠蔽されたドラマがあるとの主張は、他にもさまざまな物語を生み出していく。

明治以降、国家権力はロスチャイルド家をはじめとするユダヤ金融資本とも結託し、田布施人脈を駆使しながら日本の針路をコントロールした。

要するに「田布施マフィア」による日本支配だ。

しかも田布施出身者の多くは朝鮮半島にルーツを持つ人間であるとして、さらに話は面妖な趣を放っていくのである。

この記事が面白いのは、安田氏が町役場の職員をはじめとする田布施町の人々に「田布施システム」論についての感想を質問していること。たしかに、これは町おこし(観光開発)のネタにはならない。でも、あの松村邦洋田布施町出身だったのね! 『進め!電波少年*4田布施をネタにしよとしたディレクターが変死したというようなことってなかったの?
それはともかくとして、「田布施システム」論をそもそも偽史として二流以下だと思っていたのだが、それには幾つかの理由がる。

さらにネット上では難波大助(テロリスト)、宮本顕治日本共産党元委員長)、松岡洋右(外交官)、鮎川義介日産コンツェルン創業者)、河上肇マルクス主義学者)なども"田布施人脈"として名が連ねられている。

こうなると思想の左右を問わず、幅広く”システム”が機能しているようにも感じられるが、実際は、ここに名を挙げた者のなかに田布施出身者はいない。

宮本、難波、松岡は光市出身、鮎川は山口市、河上は岩国市の出身だ。

これをもってしても「田布施システム」が相当に乱暴な陰謀論であることは明確だろう。

「相当に乱暴な陰謀論」どころか、これを考えた奴は、歴史に対する基本的なセンスがないと思ったのだ。まあ、田布施じゃなくても、光市であれ山口市であれ、毛利の支配下なら、藩閥政治、つまり長州藩系の支配ということで、ノーマルな歴史学政治学の議論に乗せられないこともないだろう。しかし、決定的に駄目なのは岩国出身の河上肇まで一緒くたにしていることだ。毛利家と吉川家の確執ということになるのだが、実は岩国藩という藩は江戸時代の間、公式には存在しなかった。岩国側は独立した藩としてのステイタスを主張していたが、長州藩では吉川は毛利の家臣にすぎないとそれに反対し、幕府もそれ以上は介入できなかった。結局岩国が独立した藩としての地位を獲得したのは廃藩置県の直前だったのだ。さらに、安田氏は言及していないけれど、人によっては、(岸と同様に)A級戦犯で右派の政治家だった賀屋興宣も「田布施人脈」に入れていることがある。賀屋の場合、山口県ですらないよ。賀屋家は代々広島藩士、浅野家の可中だったわけだから。
また、この記事でも、名前だけは出てくるのだが、田布施町には「神道天行居」という宗教団体がある。これはやはり田布施に本部を置く「天照皇大神宮教」と比べれば全然マイナーな教団だけど、1980年代のポップ・オカルティズムの周りに興味があった人なら、少なくとも名前くらいは聞いたことがある筈だ。実は、「神道天行居」というのは教義のかなりコアな部分にユダヤ陰謀理論を組み込んでいる日本では稀有な教団。「霊的国防」というような鍵言葉と一緒に検索してみると、戦前に朝鮮の白頭山で挙行した神事とか、危ない事例がヒットする筈。「田布施システム」についての言説で「神道天行居」が全然登場しないことについて、常々訝しく思っていたのだった。田布施を舞台にして、しかも「神道天行居」を無視したユダヤ陰謀理論があり得るのか?