お家騒動がなかった



「なぜ周防と長門をひとつの県にしたのか」。これについては山口県民の納得度は高いのではないかと思います。岩国藩の問題は擱いておくと、やはり毛利家というか萩藩の200年以上に亙る支配を軽視することはできない。「周防と長門」を一体化した「防長」という表現もかなり一般的に使われているし。ところで、「長周」という言い方は「長周新聞」以外では未見。
根本はるみ「「人からみる」大名家」(『本郷』[吉川弘文館]166、pp.5-7、2023)という文章を読んでいたら、江戸時代における萩藩(毛利家)の特徴について、「実際、萩藩毛利家という「家」は仙台藩伊達家のように大規模な御家騒動を経験することもなく、鹿児島藩島津家のように将軍家に御台所を送り込むことに成功し、武家社会の中心になるようなこともなく、少々言い過ぎかもしれないが、ごくごく一般的な外様大名として二〇〇年余を過ごした」と書かれていた(p.5)。ここで、伊達騒動が言及されているけれど、江戸時代の外様の大大名においては「御家騒動」というのがつきものだったという印象がある。前田家(加賀藩)黒田家(福岡藩)や上杉家(奥州米沢藩)にも大掛かりなお家騒動があったし、薩摩藩でも江戸後期になってお由良騒動*1が起っている。また、佐賀藩(鍋島家)のお家騒動は化け猫伝説を生んだ。

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>山口県民の納得度は高いのではないか

 防府に親戚があるのですが、年配の人たちは近所の毛利邸跡を「もうりさま」と呼んでいて、毛利に対する反感はないようです。
 明治維新時の長州藩の事績も、宮本憲治の出身県であることも、同時に自慢するところがあって、へんなのですが。

防府の「毛利邸跡」は近代になって建てられた毛利本家の邸宅で、現在は博物館にもなっている防府の代表的な観光地であるようですね*2
また、高輪の最後の萩藩邸*3は現在品川プリンスホテル*4になっている。現在は六本木ヒルズに組み込まれている「毛利庭園」*5は下関にあった支藩長府藩邸跡。
宮本顕治は(現在の)光市出身で、周防人*6。それに対して、『長周新聞』の福田正義は長州下関生まれで、まさに長州人ということになる*7