「拡大」と忘却

承前*1

佐藤信夫「隠喩と諷喩の書物」(in 『叢書 文化の現在10 書物―世界の隠喩』岩波書店、pp.91-137、1981)


曰く、


隠喩と同様に、諷喩――アレゴリー――の概念もまた、しばしば拡大してもちいられる。いや、しばしばどころか、いまでは拡大された用法のほうが幅をきかせているかもしれない。たとえば『イソップの寓話』や『ガリヴァー旅行記*2アレゴリーの文学である、と言うばあいである。そして、その言いかたは、あきらかに拡大用語法ではあるが、決して不当ではない。その寓話も旅行記も、規模が大きくなっているという点を別とすれば、「夫から夫へと用が湧いてくるんで、傍から掬ひ出さないと、用が腐つちまふ」ばあい*3とまったくおなじ仕組みの認識によって成立しているからである。また、ガリヴァーのものがたりは、その物量的寸法の差にかかわりなく、本質的には貫之のよしのの山のさくら花と同一視線の言述だからである。
しかし、現代人たちははやくもレトリック用語としてのアレゴリーを忘れかけているようで、それを、あいまいで便利な「文芸用語」として使いはじめた。
二十世紀は、言語観の上から言えば、レトリックの体系をやっと無視することに成功したところからはじまった時代である。そして、多くの修辞論用語の標準的な定義が忘れられ、その比喩的な拡大用法のみが残る……という現象が生じた。従来は共存していた基本的用語法とその応用のうちで、応用的な意味あいのほうが広く流通することになった。
伝統的レトリックは、一筋縄では手におえぬ言語の作用を、何とか形式的な理論によってとらえようとするこころみでもあった。それはもちろん、いつもうまくいくとはかぎらない、と言うよりしくじりのほうが多い努力であった。伝統的レトリックをついに退治しえたという意気ごみのせいもあったのだろう、二十世紀の少なくとも前半、「レトリック用語」の多くは、その形式的な定義を無視され、内容的に(たとえば趣旨とか意図などによって)説明される、いわゆる「文芸用語」に変身した。それも、べつだん不都合なことではない。しかし、形式的な定義が取りこぼしていたものとおなじくらいのものを、おそらくはそれ以上のものを、内容的説明は失ったようである。多くのテクニカル・タームは、知的な世間話のことばになった。
もちろんむかしも、レトリックの技術的用語にその応用的意味あいが共存していたことは、ついいましがた触れたとおりである*4。たとえばアレゴリーについても、それが文芸用語以前に、宗教用語としても応用されていたのは周知のことであろう。(pp.127-128)
ここで、「概念」の「拡大」一般について。

概念とはおそらく、伸縮可能性をその本来の属性としてもつものである。いかにもその可能性抜きには、そもそも《概念形成》はなりたたぬであろう。ちょっとでも気を許せばたちまち伸び縮みしはじめるものだからこそ、いくらかでも試行を体系化しようと願った人々はいつも、定義による概念の固定化にやっきとなったのだ。認識上の安心感への願望のせいで、私たち言語人間には気苦労がたえないようである。
ところが、概念を自在に厳重に管理してやろうという威勢のよさとはややことなる態度をとるなら、思考とは、おそらくは作家が登場人物たちのわがままな動きに辛抱づよくつきあってやるように、用語や概念たちの自然なふるまいに忍耐づよくつきあって行くということではないか。それはまた、ことばの姿態から目をはなさないというところに一種のたよりを見いだすことでもあろう。ことばを《使用する》という言いまわしは、ほとんど隠喩である。
そうだとすれば、実験的な作家たちが、ときには自己同一性をもはやたもちきれなくなった人物像――あるいは非人物像――にまでつきあうように、思考もまた、ばあいによってはことばたちが極度の伸縮の結果その自己同一性を崩壊させてしまうような場面にまで立ち合うこともありうるものと思わなければならない。
……と、いちおうは考えてみても、伸縮可能性というものが概念の本性に由来する以上、うかうかしていると、概念は本当にどこまで膨張してしまうか、わかったものではない。軽率な私たちとしては、もしその概念に基本的なテクニカルな定義があるのなら、せめてそれを念のためによくおぼえておくという愚直な安全策を講じておくにこしたことはない。登場人物たちのパースナリティーが信じきれないまでも、誰が誰の娘で、その最初の恋人がどの男だったか、またそれぞれの本名とあだ名ぐらいは押さえておいたほうが、あとでストーリーの座標軸が乱れに乱れてきても、いくらかまごつきが少なかろう。私たちは安心感願望を捨てきれないのである。(pp.130-131)
この論述自体が見事な(多重的)「諷喩」(「アレゴリー」)になっている!
「諷喩」概念の「歯止めをはずして」、「膨張」するがままに任せてみる。

(前略)諷喩はみるみるレトリカル・フィギュアから膨張しはじめ、書物一般を呑みこむであろう。
諷喩が《世界》に《言述》の組織を投射するものだとしたら、それは、とりとめない星空にさまざまなものがたりを投射してそこに星座の布置を描き出すいとなみによく似ていることになる。取りつく島もない夜空を、読み取りの可能なものがたりとして編成する……それこそすべての書物がたくらんだことであった。古い星座表に対して、新しい星座表を提案する新規の諷喩のこころみが、書物の歴史だったであろう。世界の布置をいささか変えて見ようという努力が、さまざまな言述の意匠となったはずである。
ルネサンス後期、イタリアの大科学者*5が、自然という書物は「数学的記号で書かれている」と主張したとき、その意図はもちろん、すでに一度かぎりのかたちで書かれてしまった書物『聖書』の諷喩を通してではなく、またアリストテレス的諷喩を通してでもなく、じかに世界を読みとってやろうという、まことに筋の通ったものであったに相違ない。ついに諷喩的にではなく、《じかに》世界を読むべきときが来た、と信じたのであろう。もちろん、そう信ずるためには、世界そのもののなかにすでに何ごとかが書きこまれているという確信が必要である。
が、じっさいに、じかに自然に書きこまれている記号は数学的というよりもひどく気まぐれな落書きのようなものではなかったか。ありていに言えば、自然はどんな記号でも書かれてはいなかっただろう。けっきょく、自然は数学的記号で書かれているというその大学者の主張は、「自然は数学的記号の諷喩によって読むことができる」ということのきわめてレトリカルな表現にほかならなかったわけで、あたりまえと言えばあたりまえだが、新しい数学的意匠の諷喩を提供することによって近世の科学は成立したのであった。(pp.131-132)