取り敢えず

承前*1

「メタファー」(「隠喩」)について取り敢えず。


佐藤信夫*2「隠喩と諷喩の書物」(in 『叢書 文化の現在10 書物―世界の隠喩』*3岩波書店、pp.91-137、1981)


曰く、


(前略)隠喩の説明は、ほとんど例外なく、ふたつの条項をふくんでいた。
第一、《隠喩》とは、ふたつのものごと、観念、あるいは意味のあいだの、類似ないし類比による、表現の転換である。意味の転移と言いかえてもよい。
第二、《隠喩》は《直喩》の縮約されたかたちである。逆に、隠喩を説明的に表現したものが直喩だ、とも言える。(p.102)
また、

隠喩はいつも直喩と対にされていた。それは、両者がいずれも、ことなるものごと同士の類似(リゼンブランス)、相似(シミリチュード)、類比(アナロジー)にもとづく比喩であるという共通性によって説明されてきたからである。類似、相似、類比などという、それこそ似かよった用語の錯綜は、厳密好みの分析家たちに議題を提供することになるだろう。
ところで、直喩との組み合わせとは別に、隠喩はまた、《換喩》や《提喩》との対立によっても説明されてきた。
《換喩》は、ふたつのものごとのあいだの(現実的な)隣接関係、縁故関係にもとづく表現の転移であり、《提喩》は、ふたつの観念のあいだの(おもに類と種の)大小関係に基づく表現の転移である、と説明される。いずれもせまい意味での類似関係にもとづくものではないないという点で、隠喩や直喩に対立させられるのが近代の用語法であった。(pp.102-103)
実は、佐藤のこのテクストの、クライマックスは、後半部の「諷喩」論にこそある。