梅原猛 on 若冲

梅原猛*1伊藤若冲」(in 澁澤龍彦ほか『若冲河出文庫、pp.23-25)


伊藤若冲*2の「写生」は「写生」や否や。


若冲はきわめて多くの鶏図を描いた。彼の絵は、鶏に始まり鶏に終わったともいえる。しかし彼の鶏の絵を見ると、はたして現実の鶏を写したものといえようか。彼の鶏は孤独で誇り高く、華麗である。村里に飼われる鶏と若冲の鶏は明らかに違う。彼は鶏を五色の彩で描くというが、現実の鶏は五色の色彩を持っているであろうか。私には、彼の鶏は彼の自画像であった、という気がしてしかたがない。彼の描く鶏の孤独は若冲の孤独であり、鶏の誇り高さも華麗さも、若冲その人ではないか。彼はどこにでもいる鶏を書くのだ、という自分の言葉に反して、日本に存在しない孔雀や鸚鵡や錦鶏鳥、あるいはどこにも存在しない鳳凰を描いた。とくに鳳凰の絵は高い気品に満ちて神品である。彼はまた魚や虫や鳥や花を描いたが、あるいは魚が、あるいは虫が、あるいは鳥が、あるいは花が、おのおの生命を満ちあふれる喜びでもって謳歌しているようである。
それは一見、写生画のようであるが、けっして写生画ではない。魚の精、虫の精、鳥の精、花の精が若冲に乗り移って、声を限りにその「生」の歓喜の歌を奏でている。
私は若冲の画を見るごとに、生きとし生けるものの奏でる歓喜の歌に聞き惚れて、思わずも「生それはかくも豊富で荘厳なものか」、と叫ばざるをえないのである。(pp.24-25)