戴錚編訳「千年的源氏 千年的物哀」『東方早報』2008年3月3日
『紫式部日記』の記載によれば、今年の11月11日で『源氏物語』が誕生してちょうど1000年になるという。これを記念して、瀬戸内寂聴、梅原猛、ドナルド・キーンといった人々が「『源氏物語』千年紀委員会」を結成したという。
さて、上の記事には、文潔若「《源氏物語》在中国」という文章が附載されている。それによると、『源氏物語』を中国に初めて本格的に紹介したのは周作人である。中華人民共和国建国後に、銭稲孫という人が『源氏物語』翻訳を志し、雑誌『訳文』の1957年8月号に第1帖の「桐壺」が掲載された。1959年に人民文学出版社が『源氏物語』全訳の刊行を正式に決定したが、その年の10月の時点で銭氏は4万字分の訳稿しか完成させておらず、さらに銭氏は同時に近松門左衛門と井原西鶴の翻訳にも従事していたため、1962年からは訳者を豊子�という人に交替し、豊氏の訳稿を銭氏が校閲するという体制が採られた。豊氏の翻訳(全3巻)は1980年から1983年にかけて刊行された。また、台湾では、台湾大学教授の林文月女士による全5巻本が1978年12月に「中外文学月刊社」から刊行された。林女士の訳業の特徴は豊氏の訳よりも訳註が詳しいこと、巻末に「源氏物語各帖要事簡表」が付けられていることであるという。なお、銭氏の4万字分の訳稿は文革のどさくさの中で紛失されてしまった。
ところで、中世の日本では、紫式部は〈狂言綺語〉の罪によって地獄に落ちたと広く信じられていたが、ここらへんに現代日本におけるフィクションの弱さ*1の起源(のひとつ)があったりして。