『宇宙戦艦ヤマト』の方が問題だと思った

承前*1


osaan 2010/04/14 15:25
クリステヴァ『サムライたち』もお忘れなく。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100413/1271162081#c1271226329 
どうも。クリステヴァのこの本は以前Jung Hwa-Yol先生の論文*2を翻訳したときに、参考のために図書館でぱらぱらと捲ったことがあるだけです。ただ、ジャン=ピエール・メルヴィルの映画がなければこの小説もなかったでしょう。ジャン=ピエール・メルヴィルから派生した「サムライ」で挙げるのを忘れていたものとして、(こちらは英語なので、SamouraiではなくSamuraiですが)『葉隠』を愛読する黒人の殺し屋が主人公であるジム・ジャームッシュGhost Dog: The Way of the Samuraiがありますね。
サムライたち

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taraxacum_off 2010/04/15 23:13
1980年代に、日本のことが、世界のあいだで
関心を持たれるようになって、「日本と言えばサムライ」という
認識ができたのではないかと思います。

よって、「サムライ」が日本ナショナリズムや、
右翼的イメージと結びついたのは、1990年代以降じゃないかな?
(外国人が作ったイメージに、日本のナショナリストたちが、
乗っかったんだろうと思います。)

よって、沢田研二が歌っていた、1970年代後半は、
「サムライ」に右翼的なイメージは、
たぶんなかったんじゃないかなと思います。

(↑は、わたしの想像がいっぱい入ってます。
いかんせん、たんぽぽは、「カウチポテト」を
知らない世代なので、まちがっていたら、
どなたでも、教えていただけたらと思います。)


あとそれから、『サムライ』という歌も聴いてみたけど、
花束とかピストルとか出て来て、むしろ西洋的じゃん。
フランスの映画にインスパイアされて
作った歌と言われれば、納得できるんだけど、
日本ナショナリズムは、ぜんぜん感じないですよ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100413/1271162081#c1271340803

私は、1970年代の沢田研二に関しては「サムライ」よりも『宇宙戦艦ヤマト』(劇場版)の主題歌を歌ってしまったことの方が問題だろうと思っています。『宇宙戦艦ヤマト』(TV版)はオタク文化の原点とも言われていますが、私たちの世代が10代の頃に『宇宙戦艦ヤマト』にはまってしまったことがその後の日本の右傾化にかなり影響しているのではないかと世代的な責任を感じている次第です。何しろ、TV版の佐々木功が歌う「さらば地球よ 旅立つ船は」という歌は既に軍歌に代わる右翼のテーマ・ソングともなっているわけです*3沢田研二の歌はバラードなので、街宣車で流すのには向いていませんが。また、沢田研二長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』に主演することで、その罪を償って、名誉を恢復したと考えていますが。
太陽を盗んだ男 [DVD]

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さて、1970年代後半に、ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』、ライシャワー『ザ・ジャパニーズ』などの米国人による所謂〈日本礼賛本〉が出され、近代化や経済成長に対する日本文化の役割を再評価する論調が英語圏で出て来ます。それと関連して、宮本武蔵の『五輪書』などが英語圏でビジネス書として読まれるようになります。「1980年代に、日本のことが、世界のあいだで/関心を持たれるようになって、「日本と言えばサムライ」という/認識ができたのではないかと思います」というのはそういうことだと思います。勿論、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は翻訳されることによって、日本人の自画自賛に変わるわけで、1980年代に中曽根康弘政権の下で梅原猛らを中心に推進された文化的ナショナリズムはこの延長線上にあると言えます。ただ、1990年代以降の不況下のナショナリズムと違って、基本はお国自慢だったので、排外主義的な要素は相対的に少なく、故に相対的に害は少なかったとはいえます。また、1980年代は韓国、台湾、香港、シンガポールの(日本に続く)経済成長も注目され、日本を含めた亜細亜の近代化における文化、亜細亜的価値観(儒教)の役割の再評価ということも行われていました。
ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓

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ザ・ジャパニーズ―日本人

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沢田研二の「サムライ」に戻ると、基督教的な意味を全く考えずに十字架のペンダントをつける人とかいますけど、あの「ハーケンクロイツ」もそういう類だったと思いますよ。やはり「ハーケンクロイツ」のリアリティというのは日本においてはヨーロッパと比べれば稀薄だったので、左翼知識人の建前的な批判はあったものの、真剣に怒ったのは仏蘭西人であるフランソワーズ・モレシャンだったわけです。言いたいのは、親ファシズムにせよ反ファシズムにせよ、「ハーケンクロイツ」の挑発力というかショックは小さかったということ。もし沢田研二日本陸軍の軍服を着て・日本刀を振り回しながら歌っていれば、もっと喧々諤々の論争になっていたと思いますよ。沢田研二の歌手生命も危なかったかも知れない。当時は三島由紀夫事件の記憶もまだ生々しかったわけですから。