中野稔「蘭陵王が登場する中国の歴史書「北斉書」、初の日本語訳」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD12A0T0S2A110C2000000/
曰く、
テレビドラマや舞台、スマホゲームなどのキャラクターとして人気を集めるハンサムな武将、蘭陵王(らんりょうおう)は6世紀中国の人物だ。彼が登場する歴史書が「北斉書」。北斉(550~577年)と前史である東魏(534~550年)を合わせた約40年余りの歴史を記す。その北斉書の初めての日本語訳が勉誠出版から刊行された。華北東部を占めた北斉は華北西部の北周に対して優勢だったが、時代の主導権を取り切れず、北周側に併合される。その後、生まれたのが統一王朝の隋・唐だった。もっとも、隋朝は旧北斉地域の統治に苦労し、それは唐朝の支配にも影を落とすなど「北斉は消えた後も存在感を示した」(監修の氣賀澤保規・明治大学東アジア石刻文物研究所所長)。蘭陵王の活躍など、北斉書は埋没するには惜しい北斉の歴史を伝える。
『北斉書』の紹介ということなら、著者や成立時期についても言及があって然るべきだろう。著者は唐の李百薬。父親の李徳林の仕事を継承し、完成させた。李徳林は最初、北斉の敵国である北周に仕え、北周滅亡後は隋に仕えた*2。また、二十四史のひとつ、すなわち正史である。
「玉砕」*1という言葉の初出も北斉書で、第2部「群臣伝」の「元景安」に登場する。北斉が成立したとき、前王朝の東魏の帝室に近い元姓の者が多く殺された。元景安は改姓を考えたが、親族の元景皓は「大丈夫(おとこ)たる者、たとえ玉として砕け死のうとも、瓦として身を全うするわけにはいかない」と述べたという話に基づく。
ところで、最近読んだ会田大輔『南北朝時代』*3は北斉には10頁強の紙数しか割いていない(pp.208-221)。また、蘭陵王(高長恭)が登場するのは1箇所だけ(p.217)。なお、『北斉書』の原文はウェブで読むことができる(但し、簡体字)*4。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20050620 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100828/1282976283 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101015/1287072242 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110424/1303573112 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20111006/1317837731 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130214/1360779561 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130626/1372259831 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151202/1449023902 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170115/1484499361 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180630/1530377808 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/18/010920
*2:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BE%B3%E6%9E%97
*3:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/02/11/155143 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/02/17/102724