極悪ではなかった

実は朱异という人についてはあまり知らなかった。
会田大輔『南北朝時代』から。


(前略)梁初から五二〇年代まで活躍した周捨・徐勉にかわって、国政に参与して武帝*1を支えたのが寒門出身の朱异である。若いときから博学多芸で知られていた朱异は、その儒学の知識を武器に評価されて中書舎人となり、武帝の側近として活躍した。彼は一流の教養を備えていただけでなく、山のように押し寄せる書類仕事をたちどころに片づけてしまう能吏でもあった。
朱异は、周捨が失脚した五二〇年代半ばに武帝の最側近となり、様々な官職を兼任しながら、二十年以上、中書舎人として権力の中枢に居続けた。貴族は寒門出身で蓄財に励む朱异を見下しつつも、彼が休暇で家に帰るたびに門前に集まって媚をうったといわれている。
後世(略)侯景の乱への対応に失敗し、梁滅亡を招いた佞臣とみなされ、はなはだ評価が低い。日本でも『平家物語』の冒頭に「秦の趙高*2、漢の王莽、梁の周伊(朱异)、唐の禄山(安禄山)」とあるように、王朝を傾けた悪臣の代表格として描かれている。確かに 朱异は、梁の諸問題を根本的に解決することはできず、武帝の意を忖度し、命令を淡々とこなすにとどまった。しかし、彼が皇太子の蕭綱と連携し、すでに老齢の域に達した武帝を支え、二十年にわたって破綻をきたさなかったことも事実である。むしろ、中下級貴族や寒門出身の官僚たちは、教養と能力を兼ね備え、武帝側近として活躍する 朱异に対し、憧れさえ抱いていた。(pp.189-190)
全然極悪人じゃないじゃん! 維新が菅直人に抗議することは許されないけれど*3、 朱异が『平家物語』の作者に抗議することは許されるだろう。