水木しげる

水木一郎という人もいるのだった*1
さて、『毎日新聞』の記事;

訃報:水木しげるさん93歳=「ゲゲゲの鬼太郎

毎日新聞 2015年11月30日 13時04分(最終更新 11月30日 19時29分)


 「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで知られる妖怪漫画の第一人者で文化功労者水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時ごろ、心不全のため亡くなった。93歳だった。

 鳥取県境港市出身。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大)中退。太平洋戦争に召集され、ラバウル戦線で左腕をなくす。復員後、魚の行商、傷病兵として街頭募金に立つなど職を転々とする。紙芝居作者を経て1957年、貸本漫画「ロケットマン」でデビューするが生活は苦しかった。この頃「ゲゲゲの鬼太郎」の先行作「墓場鬼太郎」など後の代表作の原形となる作品が描かれる。

 貸本の時代が終わりを迎える中、漫画雑誌「ガロ」で執筆。65年「別冊少年マガジン」に掲載された「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞。「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」(アニメ化に伴い「ゲゲゲの鬼太郎」にタイトル変更)を連載し、一躍人気漫画家に。妖怪退治をする正義の味方鬼太郎は妖怪ブームを巻き起こし、その後も何度かアニメ化される。他に妖怪漫画「悪魔くん」「河童の三平」、自伝的漫画「のんのんばあとオレ」(アングレーム国際漫画フェスティバル最優秀コミック賞)。自身の戦争体験を反映した戦記漫画「総員玉砕せよ!」(同フェスティバル遺産賞他)、歴史巨編「コミック 昭和史」(講談社漫画賞他)、伝記漫画「劇画ヒットラー」などでは戦争の悲惨さを訴えた。

 妻が書いた自伝を原案にしたNHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房」(2010年放送)は話題を呼んだ。

 日本漫画家協会賞文部大臣賞(96年)、手塚治虫文化賞特別賞(03年)、朝日賞(09年)、文化功労者(10年)。
http://mainichi.jp/select/news/20151130k0000e040198000c.html

また、NHKの報道;

漫画家 水木しげるさん死去
11月30日 13時04分


ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」など妖怪をテーマにした作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、30日朝、東京都内の病院で心不全のため亡くなりました。93歳でした。
水木さんは大正11年に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育ちました。高等小学校を卒業後、新聞配達などをしながらデッサンの勉強を続けていましたが、昭和18年に徴兵されて南方戦線に従軍し、爆撃のため左腕を失いました。復員後、紙芝居の画家やアパート経営などをへて昭和32年に漫画家としてデビューしました。
幼いころお年寄りから聞いたお化けや妖怪の話からイメージをふくらませた「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などの漫画が大ヒットし、テレビや映画にもなって、妖怪ブームが起こるなど人気を集めました。また、自分の戦争体験を元にした「総員玉砕せよ!」や歴史上の人物を題材にした「劇画ヒトラー」では、戦争の愚かさや人の幸せとは何かを問いかけ、漫画界の第一人者として活躍しました。
ふるさとの鳥取県境港市に設けられた妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ「水木しげるロード」には、毎年多くの観光客が訪れ、地域振興にも貢献してきました。また、妻の武良布枝さんが書いた自伝「ゲゲゲの女房」が平成22年にNHKの連続テレビ小説でドラマ化され、「ゲゲゲの〜」がその年の流行語大賞に選ばれるなど、水木さん夫婦の生き方に多くの共感の声が寄せられ話題となりました。
水木さんは、平成3年に紫綬褒章を受賞し、平成22年には文化功労者に選ばれています。
水木さんは平成26年12月に心筋梗塞で入院しましたが、平成27年2月に退院してから仕事場にも頻繁に訪れ、仕事の指示などをしてきたということです。水木さんは30日午前7時ごろ心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151130/k10010324231000.html

墓場鬼太郎<上>

墓場鬼太郎<上>

水木しげるを巡って、個人的などうでもいい話を2つ。1980年代の或る日、友人の家に呼び出されて、一晩中『墓場の鬼太郎』を含む初期の(貸本時代の)水木作品を何冊も読んでいたのだった。何故こんなことを憶えているのかというと、その前日、私は激しく下痢&嘔吐をして、朝から何も食べられない状態だったところ、夕方になって、その友人から電話で呼び出されたのだった。何年のことなのかも正確には憶えていないのだが、『ねずみ男の冒険』がちくま文庫から出た後だったということは憶えているので、多分1986年から87年にかけてだとは思う。それから、色々な所に水木さんの写真が掲載されているけど、それらを見て、もっと丸っこい顔をしていたんじゃないの? という違和感を禁じ得ない。どうしてかと考えると、小学校の時の或る友人のお父さんには片手がなかったのだ。片方が義手だった。それで、水木しげるみたいだ! と思った。水木しげるの顔は丸っこいというのはそのおじさんの印象が重ねられているわけだ。水木しげる「人を土くれにする時代だ」 出征直前の手記で語った戦争への思い」http://www.dailyshincho.jp/article/2015/07070700/


今年の5月に長女によって発見され、『新潮』2015年8月号に掲載された「出征前手記」の話。孫引きすると、


《将来は語れない時代だ。毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ。画家だらうと哲学者だらうと文学者だらうと労働者だらうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。》

《人を一塊の土くれにする時代だ。》

《こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。だから、一切を捨てて時代になつてしまふ事だ。》

See also
内藤麻里子「水木しげるさん死去:妖怪通じ現代に警鐘」http://mainichi.jp/select/news/20151130k0000e040200000c.html