50歳から

姜尚中*1「歩いて、歩いて、歩いて」『私のまいにち』(毎日新聞社)745、pp.18-19、2022


姜尚中氏は50歳になるまで車を運転することがなかった。


振り返ってみれば、50歳にして運転免許を取得し、ドライブの愉しみを覚えてからというもの、それ以前とは比べものにならないほど、「歩く」機会がなくなった。
「クルマ以前」は、私はとにかく歩くことが好きだった。自宅から最寄りの駅まではもちろん、東京大学の前に勤めていた国際基督教大学に通う時も、JR中央線の武蔵境駅から大学までの往復5キロほどの距離も徒歩だった。徒歩と言っても、速足で歩くのであるから、それなりに負荷のかかる運動になっていたはずだ。普段から公共の交通機関を利用し、偶にタクシーに乗り、それ以外は自転車と歩くことが、私の移動手段だった。
思い出してみれば、私は子どもの頃から歩くことが好きだった。(略)歩いていると、それだけで何か心配ごとやモヤモヤが晴れていき、心身から余計なものが消えていくような感覚を味わえたからだ。汗ばみながら数キロも歩くと、胸の閊えが取れて、お腹の具合もよくなってしまうことが度々あった。比較的やせ形で胃腸も強くはなく、それでいて食いしん坊のせいか、時おり口の中に入れたものが胃のあたりで閊えている感覚に襲われたものだ。それが、歩くことで自然に解消されていたのである。
歩くことの清々しい感覚を、「クルマ以後」20年、私はほとんど忘れてしまっていたのである。妻も、私以上に「自然派」で、クルマには興味がなく、日常の移動手段は公共の交通機関を除けば、自転車か徒歩だった。二人とも、50歳になるまでは「クルマ社会」の「落ちこぼれ」のような「自然派」だったのである。(pp.18-19)
私は、40歳頃までは、自動車の運転をしてみようと時折考えることがあったけれど、それを過ぎてから、運転免許を取得しようという気は失せた。
まあ、「日常の移動手段」は「公共の交通機関」があるから自家用車がなくてもいいや、と言えるのは、「公共の交通機関」が充実して、「公共の交通機関」で行ける範囲内に娯楽施設や文化施設や商業施設が集まっている都会人の特権であると言えなくもない。