『グロテスクな教養』/『明治・大正・昭和軍隊マニュアル』

 6月19日、昼間所用があったため、関東社会学会には出られなかった。
 神山育美氏の「現代上海の文化政治−−国際経済城市・上海における「上海人」概念の再定義−−」は面白そうだったので、聴けなくて残念。


 さて、19日は、高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書)と一ノ瀬俊也『明治・大正・昭和軍隊マニュアル 人はなぜ戦場に行ったのか』(光文社新書、2004)を読了する。
 高田里惠子『グロテスクな教養』は決して読みやすい本ではない。とはいっても、この本が難解な概念やジャーゴンを弄んでいるということではなくて、梅雨時の読書には不向きな本といえばいいのか。「読みやすい本ではない」といったが、それは著者にとっては意識的に選択されたスタイルである。著者は「「そうだ、そのとおりだ」と感じさせてしまうような教養論・反教養論は、むしろ危険でさえあるかもしれない」といい、「ここでは、すっきりとしない諸言説そのものを提示し、いわば「教養言説の展覧会」を試みるつもりである」(p.7)と述べている。また、「すこし長いあとがき」では、


 もし、教養や教養主義にたいする筆者の態度がいま一つ明確ではない、批判なのか擁護なのかよく分からない、と感じられるとしたら、それは、人間をその複雑さのままに示してみたいという本書の願いから来ている。教養は、もちろん、この人間の複雑さと切りはなしては考えられない(p.231)。
と述べられている。原口統三の自殺事件、庄司薫(福田章二)のこと、1980年代の「ニューアカ」、「書かない」学者の系譜等々、面白いエピソードが満載なのだが、そもそもそれらの一つ一つがそれぞれ新書1冊に値するようなテーマなので、些か胃にもたれるのだが、ついつい頁を捲ってしまう。勿論、大学制度、出版産業、階級、ジェンダーといった社会学的変数への目配りも欠いてはいない。
 もしかしたら、本書に出てくる膨大な固有名詞を有意味な記号として感じることができるかどうか*1が、〈教養〉の有無の指標になるかも。


 一ノ瀬俊也『明治・大正・昭和軍隊マニュアル 人はなぜ戦場に行ったのか』が取り上げるのは、戦前日本の「軍隊「マニュアル」」である。「軍隊「マニュアル」」とは、著者によれば、

 1入営した兵士のための兵営事情案内・軍隊教科書
 2軍隊・戦場にある兵士と一般人とが相互にやりとりする手紙例文集
 3兵士の入営・凱旋・葬儀の際用いる、式辞・挨拶模範(p.6)
である。著者が強調するのは、先ず「徴兵・軍隊の正しさとは、その時々の政治・社会的価値観にかなうよう、常に繰り返し説明される必要があった」(p.8)ということ。また、「人々が〈自ら書く・語る〉行為の重要性」(ibid.)。曰く、

つまり人々は「マニュアル」を見て、兵士たる自分、兵士を見送る人々が発すべき「正しい」言葉を、あたかも自分の主体的な言葉であるかのように発したのである。すなわち、軍隊に行くことの「正しさ」が、こうした人々の主体的(であるかのような)行為を通じて繰り返し確認されていったのである。嘘も一〇〇回言えば本当になるなどいう言葉があるが、そうした身体的行為を通じて、徴兵は誰にも逆らえない、正しい「建前」として成立していったのである(pp.8-9)
 戦前、上記のような「マニュアル」は夥しい点数出版されているのだが、何故市販の(その意味ではアンオフィシャルな)「マニュアル」が多種出ていたのかといえば、その一つの理由として、

太平洋戦争以前の全般を通じて、日本の陸軍は全国共通・公式な軍隊教科書を編纂することはついになかった。銃の扱い方や上官の呼称、戦闘時の運動隊形など覚えるべきことは多々あったにもかかわらず、基本的には教官が口述し、兵士たちはそれを聞く、という教育方式だったのである(p.20)
ということがあった。
 明治の日本軍隊は〈合理主義的〉であり、昭和の軍隊のようなファナティックな精神主義はなかったとよく言われるが、著者によれば、「精神主義」的な言説は既に明治期にある。興味深いことに、最初は、日清戦争の教訓として語られており(pp.68-69)、日露戦争以降においては日露戦争の教訓として語られていることである(pp.112-113、163-166)。また、「捕虜禁忌」の思想は既に日露戦争後に語られている。厚生堂編集部『歩兵教程』(明治44年)に曰く、「我日本軍人は古来祖先より戦争に於ては死を誉となし生を恥とする大和魂、武士道を継承せるものなるを以て、縦い戦敗するも絶対に俘虜となる如きことあるべからず」(p.117)。「太平洋戦争という時代の”狂気”性を象徴する言葉」としての「玉砕」は既に平和だった大正10年の「出征兵士送別」マニュアルに登場しているのである(pp.173-174)。「捕虜禁忌」の思想にも関連するが、BC級戦犯の創出にも関係している戦時国際法の啓蒙についてどうだったのかという言及がないのは残念。
 ところで、今話題の靖国神社についてであるが、著者は、

 通例、われわれは戦場での死を太平洋戦争以前の人々がどう納得、受容していたのか、という問題を考えるとき、靖国神社への「祭神」化をもってその答えとすることが多い。しかし、[日清戦争期の]各種「マニュアル」においては、同神社の名前はもちろん皆無ではないにせよ、後世のわれわれが思っているほどには出てこない。そこで賛美されているのは、むしろ「郷土」の代表としての死であることが多い。したがってこの「戦争での死の納得」という問題は、靖国神社の存在を指摘するだけではおそらく解決しえない(pp.55-56)。
と述べている。「日清戦争前の日本各地では、兵士に「郷土の代表」としての名誉が与えられ、兵士は「郷土」の期待に応えて「砕身刻苦」を自己の言葉として誓うという図式が作られ、定着していったのである」(p.51)ということだなのだが、ナショナリズムによるパトリオッティズムの包摂=従属化というのは重要な問題だろうと思う。また、それと関連して、「入営」や「出征」の儀礼における町村の「鎮守」のシンボリックな意味についても、知識を求めてゆきたいと思う。
 ここで言及した以外にも、本書には重要な知見が詰まっているのだが、軍隊、兵士或いは戦争が、近代日本社会において、また近代日本人の生において、どのように正当化されていったのかを考える上では必読の書なのではないかと思った。

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*1:そうでなかったら、ただただ鬱陶しいだけだ。