カフカと「コロナ」(姜尚中)

姜尚中*1「新しい「中世スタイル」を楽しむ」『私のまいにち』(毎日新聞社)725、pp.18-19、2020


曰く、


(前略)プラハユダヤ人家庭に生まれながら、ドイツ語で孤独と夢、ユーモアと残酷さが混然一体となった小説を残したカフカ。中でも彼の代表作である「変身」(1915年)*2は、まるで未知のウイルスの蔓延に翻弄される、現在の人間の姿を予見しているかのように考えさせられる。
突然、ある朝気づいたら醜悪な虫に変身していた善良な主人公の青年、グレゴール・ザムザ。彼は家族からも忌み嫌われ、失意のうちに命を落とすことになるのだが、ザムザを、ウイルス感染の果てに重症化し、詩を余儀なくされる患者に置き換えることは、あながち強引なこじつけとは言えないはずだ。実際、感染しているのかさえ分からないのに、偶さかマスクをしたアジア系の人間というだけで、忌み嫌われ、石もて打たれるような差別や迫害が起きているのであるから、ザムザと似た境遇を強いられている人々がいても不思議ではない。
カフカの不思議な小説は、私たちが当たり前だと思っている日常の世界が、突然、パカッと口を開け、人を奈落の底へと引きずり込んでしまうようなミステリアスな恐怖に満ちていることを示唆している。(pp.18-19)
変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

また、

グローバルな世界――人やモノや情報が飛び交い、サプライチェーン(供給連鎖)が縦横に延び、誰もが相互に依存しながら、「地球村」に生きているという感覚が広がる世界。このように寿がれてきた世界が、ウイルスという細胞すらない原始生命に近い存在によって、その奈落の底を垣間見せることになったのである。グローバルな世界は、実はとてつもない禍、今日的に言えばリスクと隣り合わせの世界だったのである。
今回のような未知のウイルスであっても、もし30年前の中国の武漢であれば、中国の一部の地域内で見られるエピデミック(通常の予測を超えた罹患が一定期間、一定地域で急増すること)にとどまったはずだ。それが、猛烈な勢いとスピードでパンデミック化したのは、武漢そのものがグローバル化の進む中国における中心地のひとつとなり、また中国が世界のグローバル化において主要な推進力になっているからである。(p.19)