最近のことだが、68歳の九州工業大学特任教授が風俗店員の女性に惚れ込んで、ストーカー行為をして逮捕されたという事件を取り上げた*1。
さて、現在69歳の姜尚中氏*2の「初恋、忘れじがたく候」という文章*3を偶々読んだのだった。それによると、「老いらくの恋」という言葉は川田順の「墓場に近き、老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」という詩句に由来する*4。
テクストでは、この後、
戦後の混乱期、全ての既存の価値が転倒したような世相に、当時68歳の川田が詠んだ、矢でも鉄砲でも持って来いの境地は、どこか痛快でもある。今年69歳を迎えた私にとって、68歳はほぼ同い年だ。この歌*5が詠まれたのは今から70年ほど前であるから、歌にある通り、その当時の68歳は棺桶に片足を突っ込んだ「老人」と思われても不思議ではない。「墓場に近き」という言葉にその辺りの様子がよく表れている。
(略)
その一方で、「老いらくの恋」という歌には、どこかしら「自分ファースト」のニュアンスが強すぎる感じがしないわけでもない。もう「墓場に近く」、後先がないのだから、好きな異性と一緒に駆け落ちして何が悪い。その開き直った大胆さに胸がすく思いがするものの、「ドヤ顔」の開き直りが鼻につくのだ。もちろん、歌人の川田にそうした意図はなかったかもしれないが、歌だけを読む限り、そんな気がしてならない。(p.22)
と述べられ(ibid.)、姜氏自身の「初恋」が語られる(p.23)。
「老いらくの恋」が現在進行形で、恋愛真っ只中の状態だとすると、「初恋」の思い出は、過ぎ去った過去を慈しむ、ひとりだけの郷愁に浸るために存在するものである。そこに、「老いらくの恋」のような脂ぎった生々しさはない。
さて、九州工業大学に話を戻すと、その先生の暴走、もしかして「老いらくの恋」且つ「初恋」だったんじゃないかと妄想した。
日本が国民総恋愛社会になったのは何時頃だろうか。1960年代? 現在68歳ということは団塊の世代よりも下であるわけで、その世代で、生涯一度も恋愛をしなかったというのは非常にレアなことなのだろうけど、あり得ないことではない。
*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/30/123529 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/31/112649
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050604 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050606 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060425/1145932371 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060425/1145932371 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060831/1157027021 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061028/1162054757 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070619/1182225588 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090101/1230783208 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090626/1246034798 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100519/1274234037 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100521/1274460612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120309/1331261141 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160616/1466051809 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160823/1471966634 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170929/1506702054
*3:『私のまいにち』(毎日新聞社)718、pp.22-23
*4:See eg. 矢島裕紀彦「60代半ばで娘ほど年下の人妻と恋に落ちた歌人の切なすぎる歌」https://serai.jp/hobby/199713
*5:正確には「恋の重荷」という詩の「序章」。