「歴史学」と「社会学」?

松田和城「サブカルによる歴史学への影響「ナチスの〝無防備な需要〟」大学准教授が危ぐ 負の部分が綺麗に見えることも」https://news.yahoo.co.jp/articles/9890dce1caadbe1ba53c78e4fb8eaefa6aa41a15


西洋中世史が専門である歴史学者の高田良太氏(駒沢大学*1へのインタヴューを中心にした記事。


同大学における、近現代史ゼミの約半数はドイツ史が占め、さらにその半分の学生がナチス研究をテーマに掲げるという。その人気の高さを「おそらくそういうものの原点に、サブカルにおけるナチスイメージの“無防備な需要”といいますか、これはドイツでは絶対にあり得ない話で、日本だからこそできるものではないか。おそらく最初は70年代のアニメで〝悪役の象徴〟としてナチスイメージのようなものが出てくると思うんですけど、当然子供が見てて、悪役の方に感情移入しちゃう子も出てくるんですよね。そもそも取り上げること自体にかなり慎重にならないといけないんですけど、現状そうはなっていないので、悪役であってもファンがついちゃうわけです。そういうところから歴史学に入るとなかなか大変だなと思います」と眉をひそめた。
この独逸人気、さらにナチス人気というのは駒澤大学特有のものなのだろうか、それとも全国的なものなのだろうか。駒澤で、或いは全国の大学で、第二外国語として独逸語を選択洗濯する学生が増えていて、仏蘭西語の先生をクビにしつつ独逸語の非常勤講師を雇うという傾向があるのだろうか? 
ナチス」について「悪役」であるが故に「感情移入」しちゃって「ファン」になったというのは興味深い。でも、そういうものでしょ、とも思う。ヒトラースターリンに限らず、例えば、


金正恩
ドナルド・トランプ
安倍晋三


を、「悪役」と認識しているような人は(私がネット上で日常的に接している)リベラルなクラスターでは多い。それとともに、悪として形象化されているが故に金正恩ドナルド・トランプ安倍晋三に「感情移入」して「ファン」になってしまうという人もそれなりにいるんだろうなとは思う。


一方、サブカルが与える歴史学への好影響も確実にあるという。池田理代子さんによる『ベルサイユのばら』がフランス史への関心を呼び起こしたように、サブカルが歴史を学ぶきっかけになった学生は多い。そして今、そのきっかけであるゲームやアニメに、大きな〝流行の変化〟が起こっていると指摘する。

 「数年前からはゲーム『FGO(Fate Grand/Order)』の影響があります。アーサー王をやりたい、アウグストゥスやネロが好きだとか、どうしてその人物が好きなんだ、と尋ねるとその辺に行き着きますよね。それ以前は円卓の騎士(アーサー王に仕えたとされる騎士)の“ランスロット”“ガヴェイン”を口にする学生はいなったんですよね。そういう意味でも外国史はなかなか接点がないので影響は大きいのではないか」

 実際の歴史学研究と、想像していたものとの違いに戸惑う学生もいる。「ゲームやアニメの作品では、美形に描かれた歴史上の人物が考えたり悩んだりします。それを見てゲームを楽しむ学生は感情移入すると思うんですけど、実際にはそういう研究をしないんです。歴史学というのは人物像を掘り下げるというよりは、今に至る社会がどうだったのかとか、その人が生きていた周りの社会をテーマにするんです」と語った。

 ローマ帝国の皇帝で「暴君」として知られるネロを研究したい、と希望した学生が印象に残っているという。「ゲームのイメージと実際に行ったこととのギャップの大きさに、ドン引きしてやめちゃった生徒がいました。キリスト教徒の大虐殺を行っていますからね…。キャラとして好きになって、何を行ったのかを知らないまま調べ始めると大変だなと思ったことがありますね」と明かした。

サブカル」を通じて「歴史」に興味を抱くというのはそんなに新しいことではないのでは? 「歴史」にまつわる「サブカル」としては歴史小説というのが昔からある。また、大河ドラマも。これまで、或いは現在、歴史小説大河ドラマを通して興味を持ったので歴史学を専攻しましたという人はどれほどいるのだろうか。そして、或る歴史的人物の歴史小説大河ドラマの「イメージと実際に行ったこととのギャップの大きさに、ドン引きし」たという人はどれほどいるのか? 歴史小説大河ドラマも歴史的人物の往々にして歴史的リアリティから乖離したイメージを構築してきた筈なのだ*2

日本では20世紀は歴史学より社会学的な側面が強くなるという。歴史としてではなく、現代と地続きのものと扱うためで「題材がかなり過去のことで今や未来に直接的には関わらないことならいいのかなと思うのですけど、近現代史関係でサブカルとして取り上げるのはなかなか難しい。実際かなり社会的影響力も大きいので、作り手がそういうことに十分配慮していない可能性があるのは懸念点ですね」と話した。
ところで、ここで言われている「歴史学」と「社会学」の差異というのは全く意味不明。これは「日本」特有の問題なの?