http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130930/1380479628で採り上げたIan Buruma氏の”“The joy of art: why Japan embraced sex with a passion”*1に曰く、”Indeed, the most democratic period of prewar Japan, the "Taisho democracy" of the roaring 20s, was known for ero guro nansensu culture, short for "erotic, grotesque, absurd".” 「エロ・グロ・ナンセンス文化」が「大正デモクラシー」期の文化だというのはやはり事実誤認だろう。「エロ・グロ・ナンセンス」というのは、天皇と元号が替わった昭和初期の風潮を特徴づけるものだろう。森脇逸男氏曰く、
また、偶々見つけた「エロ・グロ・ナンセンス」というタイトルのblogエントリー*2は、「エロ・グロ・ナンセンス」とモボ/モガを一緒くたにしている嫌いはあるものの、以下のように述べている;
エロはエロティック、グロはグロテスクの略で、1930〜31年(昭和5〜6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った。「ねえねえ愛して頂戴(ちょうだい)ね」という流行歌がヒットし、エロ物・怪奇物の出版が相次ぎ、盛り場ではエロサービスを売り物にしたカフェーやバーが軒を並べた。レビュー小屋では踊り子が脚を振り上げ、扇情的にズロースを落としてみせた。警視庁が、股下(またした)2寸(約6センチメートル)未満あるいは肉色のズロース着用や、腰を前後左右に振る動作の禁止を通達する一幕もあった。昨今のポルノ風俗に比べればその露出度はたわいもないが、ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9/
ところで、「大正デモクラシー」*3というのは「歴史用語」としては決して自明なものではないのだった。成田龍一『近現代日本史と歴史学』に曰く、
大正末期から昭和のはじめにかけて、都市生活が大きく変わるとともに人々の意識にも大きな変化がみられるようになった。モダンボーイ、モダンガールとよばれる男女が、颯爽と東京の銀座や大阪の心斎橋をぶらぶらと散歩し、喫茶店でお茶を飲むことが流行し、「銀ブラ」「心ブラ」などの言葉が生まれた。男は長髪にロイドメガネ、女は断髪というのがそのスタイルで、タバコをふかし、酒をのみ、退廃的なエロ・グロ・ナンセンス時代が出現した。昭和5、6年ごろがその頂点であった。文学では吉行エイスケ(1906-1940)や中村正常(1901-1981)たちが軽妙奇抜な発想やパロディ、ユーモアなどで人気を集めた。昭和3年の三・一五事件(徳田球一、野坂参三、志賀義雄、杉浦啓一などが検挙)の直後の4月、日本ビクター会社から国産レコード盤「モン・パリ」「波浮の港」が売り出され、大ヒットした。その翌月にコロムビアから出た「私の青空」「アラビアの唄」も大いにヒットした。翌年、佐藤千夜子が歌った「東京行進曲」(西條八十作詞・中山晋平作曲)の「ジャズで踊ってリキュルで更けて 明けりゃダンサーの涙雨」という歌詞はまさに時代をなまなましく反映していた。この歌の第4節の前半は「長い髪したマルクスボーイ今日も抱える赤い恋」であった。「赤い恋」とは、ソ連のアレクサンドラ・コロンタイ(1872-1952)の小説「赤い恋」のことで、男女同権による自由恋愛を意味していた。ところが、吹き込み直前になってビクターの部長・長岡庄五から「待った」がかかり、急遽、「シネマ見ましょかお茶飲みましょうか」に変更された。その理由は取り締まり当局が厳しくなっているからだった。
そのころ流行った言葉に「三つのS」がある。スポーツ、スクリーン、セックスの三つのSが多くの学生をとらえるようになった。コロンタイ女史の言葉「セックスは一杯のコーヒーを飲むにひとしい程度のものに過ぎない」という自由恋愛の意識も都会から広がっていった。
大正デモクラシーという歴史用語は、教科書では必ずしも確定していません。たとえば山川出版社の教科書では、大正デモクラシーの用語は、本文ではなく注で記され、軽い扱いです。ここでは「第一次護憲運動から男性普通選挙制の成立までの時代思潮や社会運動を、「大正デモクラシー」とよぶことが多い」とし、「市民的自由」の拡大と「大衆の政治参加」の進展を内容とすると説明されます。
しかし、三省堂の教科書では、章のタイトルに大正デモクラシーが用いられ、一九一〇〜二〇年代を把握する柱となっています。大正デモクラシーの概念を用いて歴史が叙述されています。
このように大正デモクラシーの扱いは教科書によって異なります。しかも始期と終期、時期の範囲や具体的内容は、まだ共通の認識があるとは言いがたい状況が続いています。(p.184)
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Duncan Bartlett “Historic Japanese erotica reveals Tokyo’s sex secrets “ http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-24298728
大英博物館のShunga: Sex and Pleasure in Japanese Artだが、16歳未満の入場が禁止されるという。英国では16歳という年齢の意味は(例えば日本や米国などと比べて)大きいのだろうか。
この記事の後半部はタイモン・スクリーチ氏*4のコメントがフィーチャーされている。現代の漫画と江戸の春画との関係。イングランドに最初に到来した日本の春画の話など;
To modern eyes, Shunga pictures sometimes resemble caricatures or contemporary manga cartoons from Japan, which can also be highly sexualised.However, they rarely show completely nude bodies.
Professor Timon Screech from the University of London's School of Oriental and African Studies (SOAS) says they need to be seen in context.
"The longstanding idea that the shape of the human body somehow encompasses perfection is drawn from a Greek ideal that was completely absent in all East Asian countries," says Professor Screech.
"It is much more likely that people thought beautiful, fine clothes were more sexually arousing than skin. Skin is what workers exposed in the street or what you saw at the bath house," he says.
"Whereas if you could run your fingers through some amazing piece of cloth - that was exciting. That is why the bodies are often covered in amazing fabrics."
The first Shunga pictures to arrive in Britain were included in the cargo of a ship named the Clove, owned by the East India Company, which returned from a pioneering voyage to Japan in 1614.
It also brought back suits of armour and silk screens decorated with gold - presents from the Japanese Shogun (military commanders).
Some of the goods were sold at auction but the company confiscated the Shunga from the Clove's commander John Saris, considering it scandalous. It was later destroyed.
Professor Screech, who has written a book about Shunga, says the pictures rarely show compulsion or rape.
"The ultimate fetish seems to be that the person who I am doing it with actually wants to do it with me," he says.
In reality, prostitution was widespread in early modern Tokyo, when the city was known as Edo. Young women from poor backgrounds were often sold into the sex trade by their families. Venereal disease and unwanted pregnancies were common.
Art of the time - both erotic images and more mainstream depictions of women working as courtesans - presents a different picture, according to Professor Screech.
"Everyone is beautiful or gets beauty. There are a few stories of some vain person forcing their attentions on a person who rejects them but, for the most part, Shunga is celebratory of what can be termed, somewhat anachronistically, as a kind of free love - which we know was almost certainly not the case at the time," he says.
*1:http://www.theguardian.com/artanddesign/2013/sep/27/joy-art-japan-sex-passion
*2:http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_98be.html
*3:「大正デモクラシー」という言葉はhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070430/1177912932 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070510/1178781848 で直接的・間接的に使用している。
*4:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130518/1368859123 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130918/1379462503