再び「近さ」へ

承前*1

マルティン・ハイデガー「物」(森一郎訳、森一郎編『技術とは何だろうか』、pp.15-60)。
話は再度「近さ」の問題へ差し戻される。


今日では、現前的にあり続けているものすべてが、同じように近く、かつ遠いのです。隔たりを欠いたものが支配しています。しかしながら、距離をどんなに短縮し除去したところで、近さは生じません。(略)近さの本質を見いだすために、私たちは、近くにある瓶を熟考しました。私たちは近さの本質を求めて、物としての瓶の本質を見いだしたのです。しかるに、瓶の本質を見いだすとき、私たちは同時に、近さの本質にも気づきます。物は物化します。物化しつつ、物は、大地と天空、神的な者たちと死すべき者たちを、やどり続けさせます。やどりさせ続けつつ、物は、この四者をそれらの遠さにおいてたがいに親しく接近させます。親しく接近させるはたらきは、近づけるはたらきです。近づけるはたらきこそ、近さの本質にほかなりません。近さは遠さを近づけます。しかも遠さのままで、です。遠さを保ちつつ、近さは、その近づけるはたらきにおいて本質を発揮しています。そのようにして近づけつつ、近さは、みずから隠れるのですが、それでいて、それなりの仕方でこのうえなく近くにとどまるのです。
物は、近さが入れ物であるかのごとく、近さの「うちに」あるのではありません。近さは、物の物化のはたらきとしての近づけるはたらきをつかさどるのです。(pp.41-42)
その後、話は「大地と天空、神的な者たちと死すべき者たち」からなる「四方界」にフォーカスされる。