「係わり合ってくるもの」

承前*1

マルティン・ハイデガー「物」(森一郎訳、森一郎編『技術とは何だろうか』、pp.15-60)の続き。
ハイデガーは、自分がやっているのは「語源学上の勝手気ままなお遊びの上に築かれたもの」(p.35)では断じてないという。


(前略)じっさいディングという古高ドイツ語は、集約・集合という意味をもっており、しかも、話題にのぼっている関心事、たとえば係争事件の審議のために集合する、という意味です。その結果として、古ドイツ語のティングおよびディンク〔dinc〕は、関心事を言い表す名称となります。これらの古語が名ざしているのは、およそ、何らかの仕方で人びとの関心事となるもの、人びとに係わり合ってくるもの、その係わり合いに応じて話題にのぼっているもの、の一切です。話題にのぼっているもののことを、古代ローマ人はレス〔res〕と呼びました。ギリシア語でエイロー〔eiro〕(レートス〔rhetos〕、レートラ〔rhetra〕、レーマ〔rhema〕)とは、何かについて語る、それについて審議する、という意味です。レス・プブリカ〔res publica〕*2というラテン語にしても、国家という意味ではなく、人民の誰にも公然と係わり合ってきて、誰にも「まとわりつき」、それゆえ公的に審議されるもの、という意味なのです。
レスという語は、係わり合ってくるもの、という意味です。だからこそ、レス・アドウェルサエ〔res adversae〕とか、レス・セクンダエ〔res secundae〕とかいった言葉の結びつきも出てくるのです。 レス・アドウェルサエとは、好ましくない仕方で人間に係わり合ってくるもの、 レス・セクンダエとは、好都合に人間に付いてまわるもの、です。辞書を引くと、 レス・アドウェルサエは不運、 レス・アドウェルサエは興奮、と訳されています。(後略)(pp.35-36)

古代ローマの言葉レスは、人間に係わり合ってくるもの、関心事、係争事件、事件・場合のことを指します。レスの代わりに、古代ローマ人はカウサ〔causa〕という語も使います。カウサには、もともとはじめは「原因」という意味など全然ありませんでした。カウサとは、事件・場合という意味であり、だからこそ、何か事件が起きて現にそうなっているかくかくしかじかの事情、という意味にもなるのです。カウサが、レスとほぼ同義であり、事件という意味をもつからこそ、その後このカウサという語は、結果を引き起こす因果性〔Kausalitat〕の意味での原因、という語義をおびることにもなったのです。古ドイツ語のティングおよびディンクは、関心事を審議するための集会、という意味をもっており、それゆえ、係わり合ってくるものという意味の古代ローマの言葉レスを、事柄にそくした仕方で翻訳する言葉として、他のどんな言葉よりも適当なのです。ところで、古代ローマ語の内部でレスに対応していたカウサという語は、事件や関心事という意味をもっていましたが、この同じ言葉から、ロマンス語系のコーサ〔cosa〕やフランス語のショーズ〔chose〕といった近代語が生まれました。これを近代ドイツ語に置きかえると、まさしく物〔Ding〕となります。ちなみに、英語のシング〔thing〕は、レスという古代ローマの言葉にみなぎっていた命名力を、いまなお保持しています。たとえば、英語でhe knows his thingsといえば、彼は自分の「事柄・本分」を、つまり彼に係わり合ってくるものを、心得ている、という意味です。また、he knows how to handle things.といえば、彼は事柄・本分を、つまり場合場合に応じて問題となることを、どのように扱うべきか分かっている、という意味です。さらに、that's a great thing.といえば、あれは大いなる(すてきな、とてつもない、すばらしい)事柄だ、すなわち、突発してくるもの、人間に係わり合ってくるものだ、という意味なのです。(pp.36-38)。