What AO is

九年前の祈り (講談社文庫)

九年前の祈り (講談社文庫)

小野正嗣*1「ウミガメの夜」(in 『九年前の祈り』、pp.123-159)から抜書き。


(前略)祖母はやや呆れたようにほほえんでいた。
大分県佐伯市ってところよ」
「え?」一平太は顔を上げた。「佐伯市? 大分県? じゃあ四国か―。そんな遠かったか―」
まるで後頭部を殴られたみたいに唖然として、私立の女子校の国語教師だった祖母は深々とため息をついた。
「九州よ、四国じゃなくて、九州。よくそれで大学受かったわね」
「だってばあちゃん、おれ、AO入試だもん」
「AOって?」と今度は祖母が尋ねた。どうせ答えられないだろうとからかったり困らせたりするためになされる偽りの疑問とはちがう純粋な疑問であることは祖母の表情からわかった。これとまったく同じ顔をして同じ質問を、当時はまだ癌だと原因がわかっていなかった体調不良で仕事を休んでいた母は、高校三年生だった一平太に尋ねたのだ。あれから二年も経ち、受験前に「AO」が何の略なのか調べたはずなのに同じ質問に答えられなかった。
「え?」と一平太は廊下のほうを振り返った。聞こえたのだ。祖母の(だから二年以上前の母の)疑問に答えたのは、テレビの画面に映っていた夕方の情報番組の司会者の声でも派手な衣裳の女性コメンテーターの声でもなかった。では誰だったのだろう?
「『アホでもOK』じゃない?」
たしかに、と納得して、ははは、と一平太は軽い笑い声すら漏らしてしまったものの、よく考えればなんと失礼な、しかし食堂の出入り口からは、廊下を早足に通り過ぎる看護師と、どこか頼りなげな足取りのパジャマ姿の老人男性しか見えなかった。前者はアホの相手をしている暇などなさそうだったし、眼の種々をして片目を昆虫の複眼を思わせるきらきら輝く銀色のカバーで覆われた後者のもう片方の目には、アホなど入る余地はなさそうだった。(pp.134-135)

「「AO」が何の略なのか」くらいはわかる。admission officeの略。だからといって、「AO」の意味がわかるとは限らない。admission officeというのは入試事務局という意味しかない。そこから、或る特殊な入試の仕方というところまでは想像力が回らない。