わからないけど凄そう

加藤陽子*1「コロナ危機の中、大学界隈が静かな理由」『毎日新聞』2020年8月8日


杉本恭子『京大的文化辞典 自由とカオスの生態系』の書評。何だかわからないけれど凄そうな本だ。
何故この本を取り上げたか;


平積みされた『京大的文化辞典』に自然と手が伸びた時、ああ私は、このコロナ禍の中で大学界隈が妙に静かなのは何故なのか知りたかったのだと思い至った。さらに、この疑念の奥に、「新自由主義」の立場から進められた1990年代以降の大学改革の帰結を見極めたいとの思いがあったことにも気づかされた。
新自由主義とは何か。この分野の先達・小沢弘明氏の説明によれば、小さな政府を是とし、国家や自治体が本来担うべき義務を、地域社会・家族・個人の責任へ帰す価値観をいう。市場原理駆動型の社会へと舵が切られる際の核となる思想だ。
この本の内容と著者に触れているところをちょっと切り取っておく;

これら京大的文化を叙述するにあたって著者は仮説を立てた。独特の空間や風習は、大学が「学問の自由」を真面目に追求する時必ずや生ずる「副産物」なのではないかと。よって副産物を検討すれば、学問の自由と京大の関係を析出しうると。
(略)90年代に同志社大学自治寮に暮らし、、京大空間をつぶさに見てきた著者には、人と人との間に瞬間的に深い関係を築けてしまう大学の「場」としての可能性に確信があったのだろう。この戦略は重要だ。その理由は、誤った市場原理の毒に曝露された地域社会・家族・個人が悲鳴を上げる現在、新自由主義の本丸に攻め入る道の一つがここにあるからだ。
著者が見た京大的文化の特徴は3点。(略)第1に、キッチュサブカルに見せかけて注目を集め、紐解いていくと本質的な問いに至る仕掛けになっていること。第2に、京大の基本理念には自学自習を促す根幹としての「対話」があるが、それが継続的になされる場として機能すること。第3に、京大当局を含んで全学的な参加を促す運動性を秘めていること。(後略)

初めの評者の問いに戻ろう。本書を読了すると、一つの像が結ばれる。コロナ禍の中にあって大学界隈が意外にも静謐だったのは、学問の伝授という大学の本質的営為の部分が、構成員間の信頼に支えられ、機能したからとの見立てだ。パンデミックは、学問の自由や大学の自治の重要性をはしなくも実証したのではないか。京大総長山極寿一氏*2の言葉「共感と信頼は時間との係数」の意味がここで効いてくる。