「エッセイ」について(メモ)

小野正嗣「とめどなく抽象化していく風土に抗して」『UP』(東京大学出版会)456、2010、pp.39-51


蓮實重彦『随想』(新潮社、2010)という本の書評。
この本は10月に日本に帰ったときに丸の内の某書店で一部を立ち読みした。買おうとも思ったのだが、その本屋のカウンターが長蛇の列だったので、止した。たしか、内田樹のblogエントリーが返り討ちされていたな。
上のテクストから少し抜書きする。
先ず、小野氏が初めて蓮實重彦のテクスト(『表層批評宣言』、『反=日本語論』)を「読んだ」ときのこと;


(前略)初めて『表層批評宣言』という不思議なタイトルを持つ書物を読んだとき、そこでいったい何が起こっているのか、何が宣言されているのかさっぱり理解できなかったにもかかわらず(だから「読んだ」とは言えないのかもしれない)、この作品を織りなす言葉に視線が搦めとられてしまったかのようにどうしても頁から目が離せなかった(だから「読んだ」と言い張っていいのかもしれない)。「知識と無知、正確さと誤謬、理性と非理性、正常と狂気といった、ただもううんざりするほかない二元論そのものを遥かに超えた豊かな混沌としてあるはず」の「われわれの日々の言語体験」のありようを、フランス語を母語とする妻とフランス語と日本語を母語とする息子を持つ一人の「フランス語教師」の日々の体験を素材に、とことんさぐり出そうとする『反=日本語論』(ちくま学芸文庫*1もまた、『表層批評宣言』(ちくま文庫)と同じく、僕がそれまでに見たこともないような「日本語」で書かれていた。海のような文章だと思った。海の水は手にすくうとたしかに透明だが、濃紺に沈みこんだりエメラルドブルーに輝いたりしながら、その懐を決して明かしてはくれない。当たり前だけど舐めると辛くて、喉が渇く。眠りを誘うようにやさしくたゆたっているかと思えば、突然波が高くなり、航海する者にひどい船酔いをもたらす。『反=日本語論』の言葉たちは、美しいと言うべきか異形と形容すべきなのか、ともかくも「不気味なうねり」によって、めまいとこの上もない陶酔をもたらしながら、読者を二元論の彼岸に打ち上げる。そのとき、この難破者=遭難者は、呆然とあたりを見回しながらも、そこが、無知や誤謬や非理性や狂気を規範からの逸脱として指弾・馴致し、つねに混沌を抽象的な秩序に還元すべく機能する「制度」からは遠い場所であることだけはおぼろげながら理解している……。(pp.39-40)
表層批評宣言 (ちくま文庫)

表層批評宣言 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)

「エッセイ」を巡って;

(前略)エッセイというジャンルについて、私たちは、主題的および方法的な自然さ、無頓着さを結びつけがちではないだろうか――そこには精神の無防備な放埓を許容するような空気が漂っている。だが、こと書くということに関して、そのような自然さや無頓着さが存在するはずがない。優れた随想を読んだときに読者が感じるあの自然さ、無頓着さとは、多くの場合、不自然なものなのである。それは装われた自然さ、無頓着さなのであって、大江健三郎の言葉を借りて言えば、書かれたものに徹底的に加えられる「エラボレーション」の効果=結果にほかならない。実際、思いつくままに文章など書いたら、とても読めたものではないことは誰もが経験的に知っている。だが、多くの人が感じているにちがいないように、週刊誌などに読まれるエッセイにおいては、何がどのように書かれているかよりも、誰が書いているのかのほうが重視されているように見える。書き手の誰かが臆面もなく、さして例外的であるわけでもない「私」や「僕」の日常や意見を嬉々として語ってしまうエッセイ。そこに露呈するのは、記号とそれを書く主体とのなれあいである――書き手は、すでに流通するおのれの「名」の与えるイメージや雰囲気に似つかわしい言葉を紡ぐ(そして、その言葉はいかにもその人らしいものだと納得され、ほどよく消費される――という意味では、書き手と読者もまたなれあっているわけだ)。もちろんそこには、主体から遠ざかっていく記号との距離が意識されることもなければ、用意に主体を裏切りかねない記号に対する畏怖の念も欠けている。それは、書きつけられた「私」なり「僕」なりと、そう書きつける主体との自己同一性のいかがわしさが自覚されていないという意味で、途方もなく怠惰で無責任な振る舞いである。(後略)(pp.42-43)
ジャン・スタロンバスキー「「随想」を定義できるか?(”Peut-on definir l'essai?”)」を巡って;

このそれ自体見事な批評性を備えた随想は、essaiという語の語源を明らかにすることから始められているのだが、それによれば、十二世紀にフランス語の世界に現れたこの語essaiは、「天秤ばかり」を意味する後期ラテン語のexagiumに由来し、ふつう「試みる」などと訳されるessayerという動詞は、「計る」を意味するexagiareから派生したものだという。そして、exagium、exagiareと類縁性のある語として、天秤の竿の「針」と同時に「蜂や鳥の群れ」の意を持つexamenがあることに触れながら、スタロンバスキーは「随想essaiとは、いわば細心さを要する計測、注意深い精査であり、かつまた、言葉の群れを飛翔させることである」と書く。さらに時代が下がるうちに、essayerという動詞はフランス東部や南部では、prouver「証明する」、eprouver「試す・試験する」とほぼ同義で使われるようになり、essaiはmise a l'eprouve「検証」、quete de la preuve「証拠の探求」を意味していたのだという。モンテーニュのLes Essai(中略)一六〇三年に英語に訳されると、イギリスでは多くのEssayが書かれるようになるが、そこでは「随想」は、新しい概念や諸問題の独創的な解釈を提示する書物という意味で用いられているのである。それがあくまでも新たな展望や思考を可能にするような根本原理を表明するものとして理解されていたことを、ロック(Essay concerning Human Understanding)やヴォルテールEssai sur les moeurs)、ベルクソンEssai sur les donnees immediates de la conscience)の作品のタイトルを挙げながら、スタロンバスキーは教えてくれる。
したがって、この語の歴史をたどれば明らかなように、随想なるものは本来、「知性を駆使した分析と総合」であり、「検証という手続きを必要」*2とするものだったわけである。(後略)(p.44)
因みに、スタロンバスキーが考証しているようなessai(essay)は日本語では普通〈試論〉と訳されているいるわけではあるが。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080111/1199984086

*1:「学芸文庫」でも出ているの?

*2:この2つの引用は蓮實重彦『齟齬の誘惑』からのもの。See p.43