西村康彦『天怪地奇の中国』

天怪地奇の中国

天怪地奇の中国

西村康彦『天怪地奇の中国』を先日読了する。


第一章 舞う馬
第二章 佳人
第三章 虎
第四章 北京の鮎
第五章 漂流
第六章 瓢箪のみのるころ
第七章 狐惑
第八章 仙人の山
第九章 年越しの酒
第十章 正月の酒
第十一章 鳥のこころ
第十二章 長命菜
第十三章 名は呉妙応、七百余歳
第十四章 犬の微笑
第十五章 墓中の不思議
第十六章 隣の鬼
第十七章 怪しの石
第十八章 猫の鼾
第十九章 水仙の夢
第二十章 老舎茶館にて
第二十一章 そは何ものぞ


あとがき

著者は中国美術史専攻。本書は動植物などを手がかりに中国的想像力のあり様を、古籍や最近の新聞記事を縦横に引用しつつ、語ろうとする試み(essay)である*1。どの話も面白いが、最も面白いのは敢えてここでの言及を避け、別に独立のエントリーを立てたいと念う。
第二章「佳人」は農村における嫁不足と人身売買の増加を背景にしたものだが、要するに「女装」、男が女に化ける話。第三章「虎」では、中国的想像力における「虎」の特権性が強調されている。虎は「たんなる猛獣ではなく、不思議な霊獣」であった(p.58)。また、「古くから、虎によってひきおこされた災難は、特に「虎暴」「虎患」「虎災」と名付けられ、他の動物による災害とは区別されている」(pp.50-51)。勿論、中島敦山月記」のような人間が虎に、虎が人間になる話も言及されている。第四章「北京の鮎」は、「鮎」は中国においてアユではなくナマズ(鯰)であるという話。第五章「漂流」では、中国人漂流者の異域表象が文人による文字化の過程で『山海経』の枠組に押し込められてしまうという話が出てくる。これは日本人漂流者の話(例えば岩尾龍太郎『江戸時代のロビンソン』、春名徹『にっぽん音吉漂流記』)と比較してみるべきか。また、中国人の異域表象については王銘銘『西方作為他者――論中国”西方学”的譜系與意義』*2も参照のこと。第八章「仙人の山」は安徽省黄山について。黄山は「五岳」のひとつでありながら「安徽省の奥という辺鄙な場所であったせいか、あるいは山の嶮岨さのためであろうか」、「ほとんど忘れられた存在であった」(p.128)。「黄山を中国の山の最高位においたのは、明時代の大旅行家であり地理学者でもあった、徐霞客(一五八五〜一六四一)*3である」(p.130)。また、清朝初期の「黄山画派」のこと(p.131)。それから、黄山と神仙思想との関係。第十四章「犬の微笑」から、

犬の毛色別による尊卑が区別されたのも同じころ[漢時代から六朝時代ころ]であろうと思う。たとえば、白犬黒頭を飼うと金持ちになり、白犬黒尾は家代々が貴顕となる。黒犬白耳であれば富貴が約束され、黒犬で前脚二本が白ければ子孫繁栄、黄毛白耳ならば代々貴族として栄達するであろうというものである。このような、犬の尊卑の識別は、三世紀から五世紀にかけての晋時代には広く知られた考えで、史書にも書きとどめられている。
また、犬の飼養についてのさまざまな方法についても古くから研究されたようで、これが民間の習俗として後世に伝えられている。例えば、犬に胡麻麺を食わせると毛色が黒々と光沢あるものになり、駿足となって猟につれてゆけば狐や兎を大いに獲る。長生きもする、というものや、犬は寒さをもっとも嫌うから、良い番犬を育てるときは尾を短く切ってしまうのがよい。寒夜には必ずうずくまって、尾で鼻先を掩って熟睡する犬の習性が妨げられ、夜警の用に足るようになる、といった秘訣がある。いずれも唐、宋時代までに一般にひろまった方法である。(pp.216-217)
また、人間が犬に転生する話も出てくる(pp.218-220)*4。第十五章「墓中の不思議」は、「矢ぶすま」、「毒ガス」などの中国の陵墓の盗掘者に対抗するための「「インディ・ジョーンズ」風の奇想天外、手に汗をにぎる仕掛け」(p.235)と陵墓に生きたまま埋められやがて蘇生したひとたちの話。第十六章「隣の鬼」では、「日本の鬼」について、馬場あき子『鬼の研究』に従って、「冥界の使者や悪業にふける怪異の者たち」で、「仏教説話の地獄の鬼や平安時代末期ごろからの御伽草子の鬼たち」を「祖型」とするとした上で(p.244)、中国の「鬼」について以下のように述べられている;

ところが、中国の鬼たちはこれらとは随分ことなる。まず「鬼」字で表される事象のはばがきわめて広い。日本でいういわゆる亡霊、幽霊にはじまり、人智の限りをつくしても解明できないこと、不思議きわまりないこと、凄絶で筆舌につくせないこと、巧妙精緻でとても人間わざとは思えないもの、それらすべてにこの字をあてて鬼巧、鬼斧、鬼工などと表現する。さらには、不思議巧妙のきわみで、いかがわしくすらあることも同じ「鬼」字を使う。
遥かな昔から不可解、不思議、奇妙、巧妙といった現象や事物が場所も時もえらばずに、日常茶飯に目にされた中国では、自分の力で解明できること、納得のゆくことと、そうでないものが鮮明に区分されているのである。
この区分こそが中国人が常に生活の中に持ち続けた特質のひとつではなかったか、理解でき納得できる事象については、このうえなく現実的、合理的であり、そうでない「鬼」については、空想が限りなくふくらみ途方もない発展をみせる。
(略)鬼そのものも多様な姿であらわれるのだが、仏教説話の中で意識的に創りだされた怪異の形相をした褌姿の地獄の鬼、という日本でおなじみの鬼たちは、中国の場合むしろ特異な例に属する。中国の伝統の鬼たちは、ごく普通の市井のひとの姿恰好をして、人間と同じような存在の仕方をしているのである。したがって市場の混雑の中や街角ですれちがうことがあるほど多勢だし、茶館で隣あわせて茶を啜っていることもあるほどに身近な存在である。(pp.244-246)
「鬼」問題については、中野美代子先生の『中国の妖怪』*5澤田瑞穂『鬼趣談義』、二階堂善弘『中国妖怪伝』を取り敢えずマークしておく。また、武田雅哉『〈鬼子〉たちの肖像』*6は中国人の異域表象の問題(第五章)とも関係している。第十八章「猫の鼾」では、中国における「猫」のイメージの背景には中国における「鼠害」の凄絶さがあることが語られている。また、三蔵法師が猫を印度から中国に伝えたという伝説も(p.272)。
李陵・山月記 (新潮文庫)

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江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚 (新潮文庫)

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にっぽん音吉漂流記

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鬼の研究 (ちくま文庫)

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中国の妖怪 (岩波新書)

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鬼趣談義―中国幽鬼の世界 (中公文庫)

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中国妖怪伝―怪しきものたちの系譜 (平凡社新書)

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*1:「エッセイ」というジャンルについては、小野正嗣「とめどなく抽象化していく風土に抗して」(『UP』456、2010、pp.39-51)を参照のこと。Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101220/1292861075

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080106/1199600616

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100128/1264653480 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100205/1265303754

*4:中国における犬文化については、『三聯生活週刊』2006年2月20日号の特集「中国犬的当代命運」も参照のこと。Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060226/1140949305

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110428/1304016992

*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060607/1149699429