終わってない!

「何がしたいのか分からないまま人生が終わった」https://anond.hatelabo.jp/20190119193055


「終わった」という過去完了なので、タイトルだけ見たとき、遺書だと思った。「来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく」。そして、(日本人の平均寿命に準拠するなら)増田の人生は緩やかな下り坂を通って、あと40年余り続くことになる。宮台真司氏なら「終わりなき日常」*1というのだろうか(Cf. 『終りなき日常を生きろ』) 。しかし、その「かわりばえのしない日々」を表情もないのっぺらぼうとして見るのか、敏感に〈超越のしるし(signal of transcendence)〉を読み取っていくのかで、その幸福度はかなり違ってくる筈。まあ、大地震や大津波が起こったり、北朝鮮のミサイルが増田の住む町に偶々落下したりすれば、その「かわりばえのしない」「終わりなき日常」も忽ち一時中断してしまうわけだけど。

ところで、「小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い」。それは、〈革命〉の夢が崩壊し、オウム真理教的な〈ハルマゲドン〉の夢も消え去った現在においては、私たち全てが共有している実存的境位だといえるだろう。地下鉄サリン事件があった年に、某オウム幹部の将来の夢についての作文がTVで紹介されたことがあった。それによると、今はちょうどハルマゲドンの真っ最中で、彼はオウム軍を率いて中東のレバノンかシリア辺りに出陣して、イスラーム軍と戦って討死するのが夢なんだって。まあ、彼はイスラーム軍ではなく日本の国家権力によって吊るされてしまったわけだけど。
そういえば、以前NHK大河ドラマ徳川慶喜を主人公にしたことがあった。慶喜征夷大将軍を辞めた後も、長い余生を生きて、明治天皇よりも長生きをしたのだった(つまり、大正まで生きた)。ドラマは余生を描き切ることはなく、江戸時代が終わった時点で、慶喜の人生は終わったことにされてしまっていた。
「何がしたいのか分からないまま」の「人生」に対する増田の反省。もしかして、やなせたかし*2の影響?

なにがきみのしあわせ?
なにをしてよろこぶ?
わからないままおわる
そんなのはいやだ