「パンチ」の時代?

「パンチパーマに金のネックレス、選手名鑑には住所…古き良き“昭和のプロ野球”」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181226-00000050-sasahi-base&p=1


これは匿名の記事。


昭和のプロ野球選手で思い浮かぶのが、まずはその髪型だ。ほぼ全員と言っていいほど、理髪店で整えられた威圧感抜群の「パンチパーマ」だった。さらに首元をギラつかせる「金のネックレス」、そして小脇に抱える「セカンドバック」。特に80年代、この3つがプロ野球選手の「三種の神器」だった。90年代以降もその名残を残す選手が幾人も存在したが、登録名「パンチ佐藤」が登場した頃には少数派となり、最近では茶髪、ロン毛、アシンメトリーなんて髪型の選手も登場。もちろん女子受けは良くなったかもしれないが、男と男の真剣勝負の世界に身を置くプロ野球選手は、「パンチ」がよく似合った。

 選手の体型も現在と比べると随分と違うイメージがある。特に晩年の選手はそこが顕著にでていた。近年ではイチローのように40代でもスリムな体型で現役を維持するのは珍しくなくなったが、昭和のプロ野球でキャリアの終盤に差し掛かった選手といえば、ぽっちゃりお腹でいぶし銀の活躍をする“おやじ”の印象だ。門田博光(南海など)や江夏豊阪神など)ら、あまり鍛えられていない体の選手が躍動する姿は、昭和に育った野球少年たちの心に今も残っている。

まあ「パンチパーマ」が発明されたのが1970年代後半なので*1、ここでいう「昭和」というのは「昭和」といっても、その最後の10年くらい、要するに1980年代のことといっていいだろう。たしかに、野球選手に「パンチ」が多かったという印象はあるのだけど、「ほぼ全員」というのはちょっと大袈裟なんじゃないかと思った。誰か〈パンチ率〉統計を取る人というのはいないのだろうか。また、〈パンチ率〉というのは球団によってばらつきがあったような気もする。
さて、バブルの頃に、学歴はないけれど金は持ってる系のオヤジがよく持っていた「セカンドバック」というのも謎。携帯電話というのは1990年代に入ってからだろうし、あの中に入るものとしては、煙草とコンドームくらいしか思いつかないのだ。実際に「セカンドバック」を「小脇に抱え」ていた方にお伺いしたい。何が入ってたんですか?

加えて、情報の質も今と昔では大きく違った。特にシーズン前に新聞各社が発行する選手名鑑には、選手の家族の名前や乗っている車だけでなく、ファンレターの送り先ということで自宅の住所まで載っていた。05年に個人情報保護法が施行されて以降は、多くの情報が非公開となってきたが、昭和の時代はインターネットも携帯電話もなく、情報の伝達方法も人間臭いものだった。

 もちろんテレビ中継は巨人戦のみ。その他の試合の結果はフリップに書かれたスコアのみ。ファンといえども選手がどんな顔なのかも知らず、選手たちも試合が終われば一般人に混じって電車で帰宅、パチンコ屋に並ぶなんて選手も多くいた。金遣いも豪快で、ポケットに札束を埋め込み、酒の飲み方も半端ないもの。次の日、二日酔いで球場に現れ、ピシャリと抑えて再び夜の街へ、という選手もいた。

NHKは一応全球団公平に中継していたけれど。また、1980年代ともなれば、『プロ野球ニュース』(フジ系)があったわけだし、『ニュースステーション』とかでも試合のダイジェストくらいはやっていたよ。
「時折、今でも“昭和感”のある選手が登場し、オールドファンからの人気を集める」ということだけど、誰のことなの? 「昭和」的な野球選手といえば、清原和博*2だろうけど、その末路を見れば、「“昭和感”のある」野球人の居場所があるのかどうかということは一目瞭然だろう。