オウム/ライブドア

 村井さんはあの頃、南京にいたのですか*1
 さて、谷川さんは、


じつは、私もテレビを見ていて、両者が近いと視覚的に感じました。ライブドア強制捜査のために、六本木ヒルズへ続々と入っていく東京地検特捜部とそれを取材するマスコミの人びと。オウム真理教の麻原を逮捕するために、上九一色村サティアンへ続々と入っていく警察と自衛隊、そしてそれを取材するマスコミの人びと。

この視覚的な近さは、第一次的にはテレビの映像によってもたらされています。つまり、両者に対するテレビ局の取材や撮影の仕方が似ていたんですね。でも、逆に考えると、両者が似ているからこそテレビ局は、六本木ヒルズを取材・撮影する際、上九一色村を取材・撮影するのと同じような気分や雰囲気になってしまい、それを見た私も同じような気分になってしまった、ともいえます。それも無意識のうちに……。
六本木ヒルズ上九一色村http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060120/1137723633

と述べている。あ、そうだったんですか。谷川さんがリファーしているのが、東浩紀氏の「ライブドアとオウム?」*2。曰く、

オウムが1990年代前半の脱社会的欲望を集めたように、ライブドアは2000年代前半の脱社会的欲望を集めたわけだ。そして、オウムもライブドアもそこからの革命を夢見た。麻原が選挙に出て失敗したように、堀江も選挙に出て失敗した。麻原も堀江も一部知識人に支持された。オウムがロシアから武器を買ったように、ライブドアはロシアから宇宙船を借りようとした。そして、旧世代からすれば、ともに「なぜみんなあんなのにだまされたの?」こそがもっとも大きなナゾだ。
また、

熱狂的なデイトレードは、いまの日本社会が構造的に生み出したものだ。同じように、カルトへの沈潜も日本社会が構造的に生み出した。1990年代前半のカルト信者の位置は、2000年代前半の個人投資家へと受け継がれた(誤解のないように言うが、これは別に個人投資そのものがカルトだという意味ではない)。両者はともに、大澤真幸の言葉を使えば、「アイロニカルな没入」で特徴づけられる。だとすれば、かつて宮台真司が「オウムにはまらず終わりなき日常を生きる知恵」を説いたように、今後は「個人投資による一発逆転の夢を見ずに終わりなき日常を生きる知恵」が必要になるのかもしれない。
東氏の文章を!と?を交えながら読む。ただ、最後の「一発逆転の夢」というのは、何故所謂〈負け組〉層が新自由主義というか〈小泉的〉を支持してしまうのかを考える際の鍵言葉になるような気がする。但し、今の時点で詳しく論じる余裕はない。
 さて、「ライブドア」は中国語では「活力門*3。これがself-ascriptionなのかどうかは知らず。日本語話者の感覚からすると、〈邪教〉とまではいかないまでも、「光合堀菌」の「次世紀ファーム研究所」程度のいかがわしさは喚起される。何だか怪しい健康食品会社みたいです。