1分に満たず

少し前に、藤井誠二宮台真司の『この世からきれいに消えたい。』という本に言及したのだけど*1、令和に改元された直後の2019年5月に川崎で無差別殺傷事件を起した岩崎隆一*2は長い引きこもりから目覚めるように「この世」に蘇って、無差別殺人を行い、犯行開始から1分も経たないうちに自死し、「この世からきれいに消え」てしまったんだなと思った。
磯部涼『令和元年のテロリズム*3から少し書き写してみることにする;


隆一は小学校を卒業後、地元の公立中学校に進学したが、彼の学年は11クラスもあったという。隆一が生まれる前年=昭和41年は干支で”丙午”にあたった。60年に一度巡ってくるこの年を不吉だとする迷信は。当時、今よりもずっと信じられていて、いわゆる産み控えが起こる。そのため、第2次ベビーブームに向かって子供の数が年々増加している時期だったにも拘らず、昭和41年は出生数が前年比で25%減少。対して、昭和42年は42%増加となる。つまり、隆一も良心が災いを避けるために昭和42年を選んで産んだ子供なのかもしれない。そしてそんな大勢の生徒の中、彼は大して特徴のない少年だったのだろう。事件直後、隆一の同級生のLINEグループは騒然となったが、彼はそのグループにいなかったし、彼の近況を知る者すらいなかったという。
ましてや、隆一は事件直後に自死してしまった。犯行の意図について何も語らないどころか、自室にも事件の背景を読み取れるものはなかった。更にパソコンや携帯電話を持たず、インターネット上にも彼の人生の痕跡は見つかっていない。事件直後の捜査関係者の言葉に「人格が全くと言っていいほど見えてこない。本当に実在したのかと思うくらいだ」というものがあったが、取材を取りまとめた大手新聞社のデスクは「いわゆる通り魔事件や無差別殺傷事件の犯人に往々にしてみられる商人欲求のようなものが、まったく感じられなかった」と振り返る。川崎殺傷事件を分析するにあたって度々引き合いに出される平成11年の池袋殺傷事件、平成13年の大阪教育大学附属池田小殺傷事件、平成20年の秋葉原殺傷事件、平成28年の相模原障害者施設殺傷事件などでは、犯人たちは事件前後に多くの言葉を残しており、そこからは彼らにとって、犯行がある種の身勝手な自己表現だったことが伝わってくる。しかし、隆一の場合はどんなに情報を搔き集めても、彼のイメージはのっぺらぼうのままである。(pp.46-48)

(前略)ここ20年間の岩崎隆一について取材することは暗闇を覗き込むようなものだ。それは深い、底が見えない穴だ。我々は彼がいた暗闇の奥にじっと目を凝らすしかないのか。隆一は30年と4ヶ月続いた平成の約3分の2を、雨戸を閉め切った6畳間にひきこもって過ごした。そして元号が令和へと変わり、彼が深く暗い穴から4本の包丁を入れたリュックサックを背負って出てくると、穴の底に溜まっていた淀んだ空気も外へ漏れ、広がった(後略)(pp.55-56)
犯行開始から「数十秒」後(p.54)には自らの命を絶つまでの間に「黙々と20人を殺傷した男は、結局永遠に沈黙し、後には計り知れない悲しみと不可解な謎が残されることになった」(p.55)。