或る混血者

本村凌二*1「ユルバンからたどる地中海近代史」『毎日新聞』2022年8月6日


工藤晶人『両岸の旅人』という本の書評。19世紀アルジェリアに生きたイスマイル・ユルバンという男の生涯。


一八一二年、フランス出身の商人の父と黒人奴隷の地をひく母との間に南米の仏領ギアナに生まれたイスマイル・ユルバンは、波乱にとんだ生涯をおくったらしい。八歳でフランスに渡り、南仏のマルセイユの寄宿学校で教育を受け、数年後にはリセ(高校)で学んだという。富裕な商人の私生児としては十分すぎる学歴であった。
一八歳のとき、ユルバンはギアナに帰郷し、生誕の地を再訪した。そこで「祖母のもとにいた奴隷女が、大きな森のなかで初めての愛の陶酔を教えてくれた」と正直に告白している。経営者として奴隷制を肯定しながらも、肌の色による差別には落胆したらしい。ふたたびマルセイユをめざし、二度と生地の土をふむことはなかった。
やがて友人の紹介でサン=シモン主義の思想を知り、パリにいる思想運動の指導者たちに会うことを熱望するようになったという。
「私は商売に向いていないと日々感じるようになっていたが、サン=シモン主義者の著作を読み、心から惹きつけられたのだった。各人にその才に応じて、その才には各人の働きに応じて。出生の特権が刻み込まれた社会で不遇をかこつ者にとって、これ以上に熱狂をかきたてるものはない」
ここには改革思想の一種にはおさまりきれないものがあり、「サン=シモン教」という宗教でもあった。新参の伝道者のなかでも、ユルバンは「私の信仰の純粋さは際立っていた」という。
後年、エジプト滞在中の二二歳のとき、ユルバンはイスラームに入信した。改宗の動機は恋人との死別であったという。とはいえ、この人物のなかでは、教義よりも信仰心という魂の活動が傑出していたように思われる。
これらの期間にアラビア語の習得に心を砕き、やがてフランス軍が占領するアルジェリアの地で通訳として働くことを志す。従軍通訳として経験を積み、三三歳のころ陸軍省本省の事務官として採用され、一八七〇年に退職するまで植民地官僚として歩む。こうしてアルジェリアとフランスの間で、西地中海の両岸を往復する旅人の生活がくっきりとしてくる。
さらに、

このようにユルバンという人物の略歴をたどるだけで、近代史上の大問題が一人の人生のなかで重なりあう様が浮かび上がる。そこには、奴隷制と人種主義、キリスト教圏とイスラーム圏との相克、ヨーロッパの海外支配などの諸問題があった。