「民主主義とナショナリズムの相克」

本村凌二*1「民主主義が独裁を生む危険」『毎日新聞』2020年12月19日


権左武志*2『現代民主主義 思想と歴史』の書評。


われわれ現代人は、民主主義は最善のものだ、と思ってきた。だが、今世紀になった頃から、はたしてそうだろうかという疑念も禁じえない。その蟠りに、政治思想史の専門家が考え方の道筋を示唆してくれるのが本書である。
本村氏の書評を読むと、この本の重要なテーマのひとつは「民主主義とナショナリズムの相克」であるようだ。

(前略)民主主義を求める運動は、自由主義の目標と結びつくよりもナショナリズム運動の力を解放しやすく、ついには独裁を助長するという事例がしばしば見られる。これは民主主義のパラドクスであり、ナポレオンの独裁はその最初の事例である。
このために、英仏の自由主義者J・S・ミルとトクヴィルは、[ルソーが説いたような]純粋民主主義の思想を批判して、議会制民主主義に修正した。だが、米国型大統領制を導入した第二共和政の仏国では、ナポレオン三世の独裁を招く皮肉な結果になった。(後略)

(前略)そもそも純粋民主主義にあっても、その社会の成員を同一・同質化する欲求をもつ点は忘れてはならない。そこには個人も少数派も抑圧され、強制的に均質化されるという倒錯現象がおこりうるのだ。

20世紀末の冷戦終結後、一党独裁国家が激減し、権力集中のリスクが見えなくなっている。だが、民主主義とナショナリズムの相克の近現代史をたどれば「国民から負託を受けた強力なリーダーシップ」が独裁を正当化し、少数派排除と体制転換を誘発しやすいことは肝に銘じておくべきだ、と著者は警告する。
立憲主義の議論は「民主主義」の議論が始まる前に行うべきなのか、それとも終わってから行うべきなのか。