アハシマ

承前*1

ブラタモリ』の「下北沢編」*2。かつてタモリが下北沢に住んでいたことが明かされるというオチがあるのだけど、下北沢の西の端である代田駅周辺*3で明治時代に茶が栽培され、銘茶「武州荏原茶」として内外に名を馳せていたことを初めて知った*4
また、江戸時代にお灸で人気を博していた森巖寺*5が紹介されていた。江戸時代、下北沢は若者の街ではなく年寄りの街だった! この森巖寺は浄土宗の寺にも拘らず、寺号ではなく「淡島大明神」として知られている*6。私は下北沢で生まれて生後直ぐに千葉県に移住したのだけど、子どもの頃、大人たちが「アワシマ」という言葉を発するのをよく聞いた。世田谷にあるらしいことはわかっていたので、何故世田谷のような内陸部にシマがあるのかと不思議だった。「アワシマ」とは「淡島大明神」のことであり、起源を辿れば和歌山の淡嶋神社*7に行き着くということを知ったのは大人になってからのことだった。


タモリ、かつて夢見て暮らしていた下北沢を30年ぶり訪問 幻の「第2山手線」計画に「実現してほしかった」
4/23(日) 20:00配信


SmartFLASH

 タモリが、4月22日放送の『ブラタモリ』(NHK総合)で東京・下北沢を訪れた。

 下北沢駅について、タモリは「(前回来てから)30年は経っている。小田急が地下に潜ってからは初めて。ご立派になられて……」と、街の変化に驚いていた。

 街を歩いて、古着店が多い点に「古着屋もぽつんと1軒あるよりは、シモキタに行けばたくさんある、となったほうが相乗効果ですね」と評した。

 また、専門家が、昭和2年に計画されたという、現在の山手線の外側に、大井町から中野、王子、千住などを通り、江東区の旧町名・洲崎までおよそ43kmを結ぶ「第2山手線」について説明。

 それを聞いてタモリは「実現してほしかった。うちの近くを通ったのに……」と残念がっていた。

 小田急電鉄創業者の利光鶴松氏によって計画された「第2山手線」だったが、渋谷、新宿を通らないことで資金繰りに苦戦して、結局、実現しなかったという。

 下北沢を歩いたタモリに、SNSではさまざまな意見が書き込まれた。

ブラタモリ面白かった~ 第2山手線計画にビックリしましたし、タモリさんの懐かしんでる感じが良かった》

《面白かったなぁ。 今日のブラタモリ。 「第2山手線」が実現していたら東京の街の繁華街の場所も今とは変わっていたかもで興味深い》

《下北沢に行きたくなりました。タモリさんの懐かしそうな顔も良かった》

「番組内で、タモリさんが下北沢を歩いていると、通行人から『ブラタモリさん!』と声をかけられました。タモリさんは『“ブラタモリさん”じゃないですよ。私はタモリさん』と笑っていました。

 また、タモリさんは下北沢で、32歳のころに2年ほど住んでいたアパートの周辺を訪問して『ここで夢を見てました』とコメント。

 当時について『欽ちゃん(萩本欽一)の事務所があって、キャンディーズのミキちゃんがこの辺に住んでいて、(自分を含め)3人がタクシーを呼ぶ。それぞれ、あいさつしながら別の方向に行った』と懐かしそうでした」(芸能ライター)

 タモリの32歳といえば『タモリオールナイトニッポン』(ニッポン放送ほか)が始まった時期。その後のさらなる大成に向け、夢見るタモリはシモキタ暮らしを送っていたのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/606b6d360533cfe60de9afd0e3e273f32f42fee6

 
「第2山手線」(「東京山手急行電鉄」)は下北沢と直接関係があるわけではない。番組でも「第2山手線」に関して撮影が行われたのは井の頭線の明大前。「第2山手線」が資金的に行き詰まったときに、より収益が見込まれた渋谷―井の頭の路線(後の井の頭線)の建設が優先され、その結果、下北沢は新宿と渋谷へのアクセスを得たという話。
「第2山手線」(「東京山手急行電鉄」)については、例えば、


内田宗治*8井の頭線も“第二山手線”の一部だった? 秘蔵資料で判明 直通計画と「明大前駅の平面交差」」https://trafficnews.jp/post/120041
内田宗治「戦前の幻「第二山手線」の痕跡が“明大前だけ”に残っているワケ 井の頭線の妙に長い橋の秘密」https://trafficnews.jp/post/120040
鉄道コムスタッフ「2つ目の山手線は幻に 明大前に残る遺構」https://www.tetsudo.com/special/report/20190110/