「埼玉」の移動



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平成の大合併」という地域破壊の暴挙の大きな負の遺産として、首都圏では特に茨城県山梨県に、歴史を無視した奇妙な名前の自治体が増殖してしまいました。この地震で震度5強を観測した「城里町」もその悪い事例で、地図で調べて、やっと旧茨城交通茨城線の沿線だったことが分かりました。「桂村」と言われれば、「ああ、御前山駅があった村だ」と分かるのですが、全く罪深き「平成の大合併」、そして小泉純一郎に、改めて怒りが湧いた次第です。

東京都の西東京市*1や千葉県の南房総市*2も相当アレですけど。まあ、愛媛県四国中央市*3の方が酷いか。
ここで取り上げたいのは、埼玉県のさいたま市。大宮、浦和、与野が合併して出来、さらに岩槻市も併合した*4。実は、「さいたま」というのはさいたま市の市域とは全く関係ない。埼玉県という県名の起源となったのは武蔵国埼玉郡であり、その中心地と目される行田市には現在も「埼玉」という地名(字名)が存在している*5。なお、「埼玉」は最初「前玉」と表記されていた。原武史氏曰く、「結局、もともと全く別の場所(現在の行田市付近)の地名であった埼玉が平仮名化して、何の意味ももたない記号となり、新市名となったのは、かえすがえすも残念なことであった」(『〈出雲〉という思想』*6「学術文庫版あとがき」、p.278)。