水俣から

幾つかのMLに転送されているかとも思うが、以下に転載する。
白川静先生のお名前もありますね。
http://yellowz.at.webry.info/200602/article_2.htmlから;


突然水俣からお願いを申し上げます。ご賛同くださるかたは、以下にご署名いただ き、FAXまたはE-Mailにて、送りかえしていただけると大変うれしく存じます。状況は大変厳しく、一刻の猶予もありません。不躾なお願いではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。
FAX   0966−63−2980
E-mail amazon21@galaxy.ocn.ne.jp
お問い合わせ  0966−63−4140
本願の会事務局  金刺潤平
 私は、趣旨に賛同しここに署名いたします。
ご署名(       )
ご住所 
お電話番号
*何かメッセージがございましたら、一言、お願いします。

IWD東亜による 水俣産業廃棄物最終処分場建設計画を 撤回させるためにお力をお貸し下さい。
皆々様へ
 水俣市民がIWD東亜による一般廃棄物をも含む産業廃棄物最終処分場建設計画を 知ったのは、2004年3月に方法書の縦覧が始まってからでした。環境アセスメントに入る前の事前協議などはまったく無い、突然のことでした。
 公害の原点と言われる水俣には、いまだに多くの被害者が苦しみ続けています。そして、潜在化している被害は何処まで及ぶか見当も付きません。
 水俣の犠牲は何のために払われてきたのか、皆様に良く考えていただきたいので す。単に地方都市で起きた環境破壊問題ではないのです。加害責任を負った企業チッソは、戦後の日本の食糧難を救い、日本の大きな工業技術、経済発展のために働いた会社です。そして、日本は高度な経済成長を遂げました。まさに水俣の犠牲は日本のためにあったのではないでしょうか。水俣病は、それまで環境に対して無知であった日本に環境庁(現環境省)を作らせました。そして、世界から人類共通の教訓として見つめられ続けています。
 水俣市民は、トラウマというべき水俣病を乗り越えようと、徹底した分別ゴミ収集によるリサイクルそして減量化、断絶した地域の絆を取り戻そうとする「もやい直 し」等に取り組み、大きな実績を作ってまいりました。自分たちの町を再生させ、誇りを取り戻したい一身からの努力です。
 その水俣に、環境インフラの整備という大義をかざして、民間の内陸型としては、最大規模の廃棄物最終処分場の建設が計画されているのです。事前協議も無く、環境アセスメントの手続きが合法的だという理由だけで、このような計画が人道的に、道義的に許されていいものでしょうか。 皆様に心から訴えます。どうか、水俣のIWD東亜産業廃棄物最終処分場建設計画撤回のために、御力を水俣にお貸し下さい。

水俣の命と水を守る市民の会  代表 坂本ミサ子
水俣を憂うる会  代表 坂本
龍虹 本願の会  代表 浜元 二徳
(賛同人)石牟礼道子(作家)、伊藤比呂美(詩人)、宇井純沖縄大学名誉教 授)、上田麻里(編集者)、永 六輔(ラジオタレント)、岡本 厚(編集者)、嘉田由紀子社会学者)、上条恒彦(歌手)、鎌田 慧(ルポライター)、栗原彬(明治大学教授)、桑原史成(写真家)、桜井国俊(沖縄大学学長)、志村ふくみ(染織家)、白川静立命館大学名誉教授)、土本典昭(記録映画監督)、土屋恵一郎(明治大学教授)、筑紫哲也(ジャーナリスト)、富樫貞夫(熊本学園大学教授)、中谷健太郎(湯布院亀の井別荘社主)、原田正純熊本学園大学教授)、平野美和子(ゆふいん文化・記録映像映画祭事務局)、町田 康(作家、パンクロック歌手)、丸山照雄(僧侶、宗教評論家)、
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水俣から生類の邑(むら)を考える
ーーー産廃最終処分場反対の立場から
石牟礼 道子
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 まことにぶしつけでございますが、再び水俣から緊急のご報告をさせていただきます。さきの第一信で略述しましたが、産業廃棄物最終処分業者、IWD東亜熊本(小林景子社長)と東亜道路工業東京(柴田親宏社長)が水俣川源流の山林を買いしめ、広大な処分場を造ろうとしています。そこは、水俣市民にとって命の水である水源地です。上流の村々ではその湧水を朝夕直接頂いて来ました。古くから地域住民の湯治場である「湯のつる温泉」もあります。
 ことが判明したのは、昨年三月、最終処分場建設のための環境影響調査の方法書の縦覧が始まったからでした。江口隆一市長はなぜか中立の立場をとり、そのじつ、産廃処分場が来るのは既定の事実であるかのように、「世界最高の技術でやってほしいと約束した」と公言しています。発表する前に、他にも約束したことがあるのでしょう。
 水俣病発生の頃、チッソの科学技術は世界最高水準といわれていました。いたいけな者たちがまず襲われ、赤んぼたち、少年少女はいうに及ばず、働き盛りの大人も長老たちも、宙を掴みながら顔をあげかけ、倒れてゆきました。胎児性の人々は、生まれてこのかた座らない首をもたげようとして、日々挫折をくり返し、その苦悶に満ちた視線の先を見とどけた者はおりません。
 水俣病公式確認から五十年とは、今もうつつに続いている無念の日々をいいます。当地の年月を考えれば、野ざらしにこそなっていませんが、死屍累々です。そんな中で市民はゴミ分別日本一を目指してやって来ました。
 水銀埋立地の処理も完全ではない五十年の歳月。昨年十月の関西訴訟最高裁判決のあと、当初の予想をはるかに上まわる潜在患者が認定を求めて名乗り出、はや三千二百を超えました。
 怨念ただならぬこの現場に、さらに正体不明の産廃ゴミを持って来ようとは。どこから出発してくるかわからない大型ダンプカーが一日二〇〇台から三〇〇台もゆき来する人口三万弱の水俣。街も家々もがたがた「がぶり倒される」と水俣市民や胎児性の人たちが心配しています。ダイオキシンなどの焼却灰で洗濯物は汚れ、茶畑、ミカン園は黒ずみ、近年台所の人気者になったサラダ玉ネギなどの安全性は失われるで しょう。
 なぜ、水俣が引きうけ手のない産廃最終ゴミの「受け皿」にならなければならないのか。飲み水は環境ホルモンアスベストなどに汚染されるおそれ充分です。天と地の最後のめぐみであった天然の湧水にまで毒を注入するつもりか。湯のつる温泉の裏手の山々をぞっくり刳り抜き、ぞんぶんに投棄されるであろう有毒ゴミ。市民がついていて一台々々検査するわけにはゆきません。心優しい運転手が乗っているかもしれないけれど、怪しいダンプカー。
 いったいどれくらいの致死量が不知火海に流されたのか。いまだに全容が明らかにされていない水銀の非人間性と、使用者たちの犯罪性。水俣病五十年とは、企業と行政の証拠隠滅の期間でもありました。  最近いとけない少女たちがあやめられる事件が相つぎ、世をあげておどろき、悲憤と哀悼の声が満ち満ちています。当たり前です。
 ところで、何十人、何千人単位でむごい死をとげる社会的事件がありますのに、公害と名がつけられれば、一人一人の死のいきさつは行方不明になり、外側にいる者たちの心は痛まない不思議さ。
 ここに産廃最終処分業に直結している東亜道路工業、柴田親宏社長のことばがあります。水俣の市議団が土地利用と計画地の変更を求めて、要望書をたずさえて行った時のことです。(本年七月二七日)
 「水俣病は五十年経っているが、いつまでやってもしょうがない。水俣も新しいことをやったらいいのではないか。これくらいは(産廃場計画に)協力してという意味ではやりますが、撤回せよというのであれば、そのきちんとした納得のいく理由とこれまでの経費に対する弁償分はいただくことになる」
 議員団を田舎者とみてふんぞり返っている様子まで伝わる言葉です。
 ほんの少しだけ元気な潮もはいって来ている不知火の渚。
 ざっくざっく採れていたアサリも死にました。ハマグリもマテ貝もサクラ貝も大きな三味線貝も月日貝も宝貝も、巻き貝のたぐいもいなくなりました。隣の有明海でも毒をためこんでいるから食べるなとささやかれています。小川もなくなり、フナもエビもウナギもシジミもいなくなりました。田んぼのタニシもおりません。ゆゆしき事態です。食の安全どころか、種の絶滅がすぐそばに来ています。人間もです。人間がやったのです。
 貝とりは子どもの磯あそびでした。なくなりました。山あそびも川あそびも。
 今の子どもたちの無選択な殺意をどう思われますか。人間環境の激変と、えたいのしれぬ毒物に子どもたちの脳が犯されているのではないか。水俣で起き、今も続出している多様な出来ごとは、これからの日本を予告していないでしょうか。水俣にかろうじて残っている救いは、人の心のやさしさです。
 水俣川の川口に立って考えます。南の高みに矢筈山が見えます。中腹あたりの湯のつる川の源流から川口まで十・五キロ、水俣市街のやや左を突っ切っておだやかな川があります。この川がなんと豊かな恵みを人々にもたらしていたことか。先祖代々、心も体も養ってもらいました。死者たちの形見の声を少しばかり綴ってみます。
 沖から見れば、川口の大廻(うまわ)りの塘(とも)はうねうね動きよりました。芒の穂の光って。野菊の花々も綴れて。狐の眷属たちの往ったり来たりして。貝採りにゆく時は人も狐も顔なじみで。顔見ればどこの狐かわかりよった。所の顔がございますよな。向う縁(べた)の天草狐は長崎系統で鼻筋のすうっとして。猿郷狐は小柄で猫のごたったですよ。鳴き声にも、所の訛のございます。狐同士で後(あと)先見て遊び遊びゆきよりました。「今日はどこゆきな」と声かけますと、「はい、よか磯ゆき日和で」と返事しよりましたよ。
 湯のつる狐はひとめでわかりました。ひげの光って威厳のあった。山の神さまの代理もして、祭の神官さんもするそうで。祭といえば、大廻りの塘の薄っ原が広々なぎ倒されている時、ゆうべはあのひとたちの祭じゃったとわかります。狐といわず、 「あのひとたち」といいよりました。
 思い出しました。「しゅり神山」はもと「あのひとたち」の山でございました。大廻りの塘の一番先で、今はチッソの山になって、しゅり神さまも「あのひとたち」もおりません。何百匹のものたちが、天草目ざして舟で渡ってゆきましたことか。
 「宇土(うと)のすぐり藁」という名の狐もいました。病気の百姓が頼めば、宇土から飛んできて、刈り跡の稲を一と晩に三反分くらい「すぐり」取ってくれていたそうです。宇土は二百キロばかり海の向うです。
 地域住民と山や海辺の「あのひとたち」とは、今もゆき来があります。このような「民俗」が失われてしまう日本は、さらにぎすぎすした国にならないか。
 湯のつる温泉の裏山一帯をぞっくり刳り抜き、産廃最終ゴミ(処分場全体の広さ、水銀埋立地の約二倍の九十五万平方メートル、埋立容量、四百万立方メートル)を埋め込むとなると、市民の飲み水を奪い、神秘な「あのひとたち」の棲み家をたたきつぶすことになります。ミナマタは受難のゆえに日本人の原郷となり、残された生類の邑(むら)になりました。
 森と水を守れという気運が心ある人々の声となってきた今、惨酷な運命に呻吟してきた水俣の、残された命の水までも平然と毒化するおつもりか。IWD東亜熊本と東亜道路工業東京とは、よっぽど冷血で非情なサディストだと思います。  ご自分もご両親も、さらには村ぐるみ発病している杉本栄子さんは、この五十年間に惨死した死霊たちを、一人残らずよび寄せるとおっしゃって祈っておられます。ゆきどころのないたくさんの霊たちが、どういう気配となって現れてくるか。人の一念というものは案外おそろしいものです。
 「水俣病発生当初、何もしなかった」と自ら名乗る人々が中心になって、産廃最終処分場反対市民連合が発足しました。
 民族の精神性が決定的に失われるこの危機、ゴミを出さないゼロ・ウェイストの方向を探るとともに、再び水俣のゆく末をお考え願いたくペンをとりました。ご支援を切にお願い申しあげます。
平成十七年十二月
 注 水俣病認定申請者数 二万人以上 水俣病認定患者数  約二三〇〇人