共産党時代

米本浩二*1『評伝 石牟礼道子』の巻末に附せられた「石牟礼道子年表」によると、石牟礼道子は1959年5月に「日本共産党に入党」し、1960年9月に「日本共産党より離党」している(p.455)。しかし、『評伝』の本文では「共産党」との関りについては全く言及されていない。道子がまだ共産党員であった1960年1月に後に『苦海浄土』の一部となる文章が発表されている。また、同じ年、道子は「『アカハタ』懸賞短編小説に「舟曳き歌」を応募し、最終選考に残るが、落選」している(ibid.)。彼女が「谷川雁森崎和江上野英信らの「サークル村」に参加」したのは1958年11月のこと(p.454)。石牟礼道子の「入党」と「離党」は「サークル村」と関係あるのだろうか?

サークル村」と「水俣」を巡っては、竹沢尚一郎『社会とは何か』*2をマークしておくべきだと思い出したが、「日本共産党」への言及は多分なかったと思う。