Death Cafe

奥山はるな「デスカフェに集う人々」『毎日新聞』2022年7月10日


今年の6月に横浜市で開催された「デスカフェ」*1を巡って。


主催者は、図書館司書の田中肇さん(69)とパートナーの紀さん。
もともと読書会をしていたが、2018年秋、全身がんを公表していた俳優の樹木希林だんの死*2をきっかけにデスカフェを開いた。「こういう場を待っていた」と好評で、現在は月2回ほどのペースで企画している。
1回あたり2~3時間で、オンライン参加も可。進行には一定のルールがある。「カウンセリングや悩み相談の場にならないようにする」「自殺を誘引するような話題は避ける」「話した内容はこの場限り」。結論を出したり、まとめたりせず、自由に考えを言い合う。
この日は1人ずつ語りたいテーマを挙げ、多数決で「日本人の死生観は日本人特有か」という問いを選んだ。
身近な家族の死から自分の人生を振り返ったり、昔の思想家のエピソードに感想を述べたりして、和やかに対話した。
参加者の年代は幅広く、属性は会社員や学生、医療や福祉に関わる人などさまざまだ。肇さんは「死に関心を持っても、日常的に話題にしづらく、ともすると『縁起でもない』と言われてします。フラットに語れる場は数少ないのではないか」とみている。
吉川直人氏*3の話;

京都女子大の吉川直人助教社会福祉学)によると、デスカフェは99年、スイスの社会学者、ベルナール・クレタ*4が妻の死をきっかけに始め、少なくとも世界80カ国で開催。日本では10年ごろから広まり、約20の主催者がいるとみられる。
吉川さんは13年、青森県の短大に勤めていた時、特別養護老人ホームでデスカフェの企画に関わった。
入所者の家族や福祉関係者、地域の人、学生ら約30人が集まり、反響に驚いて研究を始めた。
デスカフェの広がりについて吉川さんは、高齢化の後に訪れる、死亡者が増加し人口減少が加速する「多死社会」が背景にあるとみている。
さらに「個人が死という課題にいや応なく向き合う時代。独りで抱え込まず、人と思いを共有することで、悲しみを昇華できたり、癒やしを得られたりする。対話から生き方を見直し、人生を輝かせることにもつながる」と続ける。
死は一方では自らの(やがて来る)死や身近な他者の死のように、第三者が入り込めない濃密な粘性を持つとともに、他方では生物学的な現象というドライで素気ない側面を有する。後者については、あまりに冷ややかで乾きすぎていると思うと同時に、前者については、私の実存に粘着しすぎて主体(agent)としての私の存立を脅かしかねず、何とかそれを乾かして、他人と「共有」可能なものにしたいとも思う。両極端の中間ということで、比較思想史やあ比較文化史的な議論というのは落し処なのだろうか。
所謂「哲学カフェ」*5という実践の一形態といえる?