「中内功の祟り」?

承前*1

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2009/11/1129-5d50.html


「大手スーパー」の「低価格競争」が「メーカー」を圧迫しているという話。そのことが余計「低価格商品」の顧客を増やすことになっている。
少し抜き書き;


デフレ経済を肯定的にしか捉えることのできない新自由主義者(正確には新古典派経済学派)は、低価格競争を企業努力として肯定的にしか評価できない。内需の掘り起こしについて無頓着である。
しかし、低価格競争を社会全体で繰り返すと、国際競争もあいまってやがては貧困国並みの経済水準に平準化されることになるのではないか。それはこの国が蓄積してきた技術力やノウハウを守る術を失う結果になるのではないか。

近所の大きなスーパーの棚が、プライベートブランドだらけになってきている。いくつかの食材では品物が選べない。昔の社会主義国みたいに単一のブランドしかない社会で買い物しているみたいで、味気ない。プライベートブランド商品は、いつ、どんなメーカーで作られたのかという痕跡もなく、気味が悪い。
これに対しては、「中内功の祟り」という意見あり。「菅原道真のように神社を建てて供養するのがいいと思う」とも*2。たしかに、中内さんの晩年は惨かったようだ。かつてのダイエー関係者は葬式にも出なかったとか。彼の無念については、 佐野眞一中内功死去 九月の六日間」(『月刊百科』518、pp.2-9)とかを参照のこと*3。それから、実は「功」という字は間違い。旁は「力」ではなく「刀」。勿論、この異体字はJISコードに入っていない。これも「祟り」の原因のひとつかも。