「世界史」が来た!

海老坂武『戦争文化と愛国心*1から。
大東亜戦争」に当って、哲学者たちは如何にアジったか。


「我々は今、世界史的激動のただ中に立って、そこに現れはじめている世界革新への政治的思想的根本徴候の二三を指摘し、それの世界観的意義に言及したいと思う」(大江精志郎「世界新秩序の世界観学的考察」『理想』一九四一年十月号)
「日本は各民族をしてその所を得せしめると云う東亜共栄圏確立の指導的地位に立っている。固よりその指導者たるに相応しき実力を具えた唯一の東洋に於ける国家である。東亜的にして世界的なる文化創造をその民族的なる使命としている。この日本の歴史的、文化的なる源流を反省し、これを世界的規模に於いて展開せしむることを必要とする。日本的価値の世界史的創造である」(湯村栄一「新しき世界と日本主義」『理想』一九四一年十月号)
「この未曽有の世界史的転換期に臨んでわが国もいま新しき時代の指導的思想を要求することが熾烈であるし、またその要求も充たされかけているものの如く見える(後略)*2」(樺俊雄「転換期日本と指導的思想」『理想』一九四一年十二月号)
「我我が戦ったのは、常に止まれざるものがあったからなのである。我我は常に戦争を避けんとした(略)*3しかしそれを避け得なかったのは、そこには世界史的必然性があったからである。それが世界史の意志であったからである」(高坂正顕「戦争の形而上学」『思想』一九四二年二月号)
「われわれはひとり上代のみの世界観にとどまらない、わが固有の世界観人生観にたぐいなき深さと大いさを感じ、その顕現がいまや全世界を震撼させていることに、その逞しき創造性を思わずにはおれないのである」(佐藤通次「皇道と哲学」『理想』一九四二年一月号)
「現実日本が世界史的に飛躍しつつある時、我々哲学を研究しつつあるものは如何なる態度をとり、如何に哲学すべきかを切実に反省せざるをえない。現実日本が世界史的に飛躍すると共に思想日本も世界史的に飛躍すべきことが当然要請されるのであり(……)*4」(鬼頭英一「現代日本の哲学」『理想』一九四二年五月号)
「大東亜戦には世界史的意義が含まれている。そしてその意義は戦争の進展と共に一層明瞭になるであろう。かく多くの人々が確信している。その信念に揺らぎがあってはならないことはもとよりである。(後略)*5高坂正顕「大東亜戦と世界観」『思想』一九四二年六月号)
大東亜戦争が如何なる世界史的意義を有するかを問うことは、それが世界文化の上に如何なる新しき内容を加え得るかを問うことである」(高橋穣「大東亜戦争の世界史的意義」『理想』一九四二年十二月号)
「大東亜の建設は、わが肇国の大精神の展開、大和の世界観の世界史的顕揚というところからのみ招来されることができる」(竹下直之「日本的信念と思想戦」『理想』一九四三年六月号)
「とまれ今日世界史的なる国家としてあり、殊に大いなる目的の達成に向って全力を傾けつつある我が国に於いて、何より必要とせられる一つのことは、世界史的なる国民としての自負に基く責任性の自覚と、またそれに伴う道義的精神の昂揚とである。道義性に結び付いた力のみがよく我が民族の持つ世界史的なる使命を果たさしめ得るに相違ないからである」(岩崎勉「世界史と道義性」『理想』一九四三年七月号)
「今日の大戦はまさしくこの地上に於ける最初の而も最激烈なる世界観の戦いである。凡そ戦いという戦いに於いて世界観の戦いほどに苛烈深刻にして且つ最大な意味を有つものはあり得ない。(中略)*6最初の世界的世界観戦の世界的大勝を博するもの、皇国日本並びに盟邦こそ、世界史上永遠の栄光に輝くであろう」(高階順治「大戦下学生の世界観の問題」『理想』一九四三年十一月号)(pp.75-77)
樺俊雄は戦後、社会学者、進歩的知識人として活躍した。 高坂正顕*7は所謂京都学派の一員。そのほかのい人々は存じ上げないのだけど、海老坂氏によると、「いずれも学生知識層に影響力を持った哲学者」だった(p.77)。その他の人々は遺憾ながら知らない。哲学者たち、そして彼らに煽られた「学生知識層」にとって、「大東亜戦争」とは先ず「世界史」であり、「世界観」だった。