「五・一五」「三つの問い」

加藤陽子*1「三つの問いへ 気鋭歴史家の新知見」『毎日新聞』2020年5月23日


小山俊樹『五・一五事件』という本の書評。


本書の著者は、二大政党制を支える論理「憲政常道論」の二つの型を軸に線前期政党制の消長を考えてきた人である。その著者が挑んだのは(略)なぜ海軍青年将校は事件を起こしたのか、なぜ政党政治は終わったのか、なぜ国民の多くは青年将校らに同情し減刑を要求したのか、の三つの問いだ。

一つ目から見ていこう。首相の暗殺だけに着目すれば、「満州国」の承認を拒否した犬養*2を除くためのテロにも見える。だが主犯格の 三上*3の獄中手記を新たに発見した著者は違う答えを対置する。三上の書いた檄文は、農民・労働者・民衆へ呼びかけており、もう一人の主犯格古賀清志の計画書からも、多様な階層の参加事態を重視ていたことがわかる。実は襲撃の第一目標は首相官邸ではなく警視庁だった。その理由は「支配階級の私兵」たる警官と対峙しつつ、彼らをも陣営に引込む思惑だった。全階層による支配階級打破、一種の革命が目指されていた。
二つ目はどうか。原敬浜口雄幸の例を知る者は、元老西園寺公望が政友会の新総裁・鈴木喜三郎後継首相に奏薦するはずだとの見立てができた。だが実際に成立したのは斎藤実率いる挙国一致内閣だった。著者いわく、確かに西園寺は鈴木を選ぼうとして上京した。だが、昭和天皇の伝言が元老を翻意させる。天皇が後継首相につき7条件を出したことは知られていたが、著者は人格の立派さ、事務官と政務官の区別の重視といった2条件に、鈴木の線を明確に排除する意図があったと看破した。先の田中義一内閣時に内務大臣として党派人事を行った鈴木を天皇は望まなかった。政党制終焉の理由がまた一つ明らかにされた。
最後の問いについて。青年将校らの行動を、世界恐慌といった国家緊急事態への対応として容認する軍法会議弁護側の論理は国民から広く支持された。だがその裏面では、軍人の政治干与強く戒め三名に死刑を求刑した山本孝治検察官の正論が軍首脳と世論の力で屈服させられ判決は軽いものとなった。(後略)