「家族」と「共同体」(山極壽一)

無印良品のPR雑誌『くらし中心』(「くらしの良品研究所」*1発行)の30号の特集は「居場所って」なのだった*2


山極壽一*3、小池一子「環境は生物の中にある」、pp.24-27


少し抜書き。


山極 人間の祖先は、熱帯雨林からだんだんと草原へ、北への移動を始めました。それはとても大きな変化で、たとえば食べものは、自分で取って、自分の目で見て、安全を確かめた上で食べるのが基本だった。それが行動の範囲を広げた結果、取って持ち帰ることを始めました。熱帯の外は地上性の肉食動物がたくさんいて危険ですから、安全な場所に集まってみんなで食べることも始めた。そのとき、食物自体の安全や安心よりも、持って帰る「人」を信用するようになったんです。
小池 仲間として信頼できるかどうか。
山極 この時点で、ものを使ったコミュニケーションの素地が生まれました。栄養補給と同時に、食べものを通して人間関係を調整する手段となっている。衣服も同様で、動物の毛皮は着脱不能で、生まれつき着ているしかない。でも人間は毎日着替えることができる。それによって身体を保護するだけでなく、自己主張もできるし、コミュニケーションの手段にもなる。(pp.24-25)

山極 人間社会は、家族と、家族が複数集まった共同体を併用しています。これは人間にだけ見られる社会性なんです。ゴリラは家族だけ、チンパンジーは共同体だけで。どちらかしかない。でもその社会性が薄まってきている現代において、コミュニティとして機能しているのが大学なんですね。いろいろな研究室やクラブがあって、家族や共同体以上の深い付き合いができる。同世代だし、似た好みを持っている。だから大学から家に通うみたいな人が出てきてもおかしくない。
小池 学生にとって、ほんとうに心地いい場所になっているんですね。
山極 しかも少し距離を置いて、お互いに干渉しあわないというマナーもある。家族は干渉しあうのが当然と思われているから、かえって軋轢が高まります。親とは年代が違いますから、同じ話題で盛り上がることもない。(p.25)

小池 山極さんがおっしゃる人間独自の社会性って、どのような経緯で生れてきたのでしょうか。
山極 「高い共感性」を発達させることができたからでしょう。本来、集団の論理と家族の論理はまったく違っていて、矛盾と対立を孕んでいます。人間は約200万年前に脳を大きくし始めました。脳はエネルギーを食う器官で、それゆえ身体の成長が遅くなります。この結果、家族が集まって、共同で子育てをする必要に迫られた。そして子育てを優先課題にして、さまざまな協力体制を整えていきました。食物を持ち寄って一緒に食べ、子守歌という音楽でみんなの気持ちをひとつにして、他者を思いやる心というものも育まれました。
そうやって培ってきた共感社会に、私たちは半永久的なアイデンティティ帰属意識を持ちます。同じものを食べて、着て、同じ音楽を聴いて、同じ喜びや悲しみを味わう。そういうものが身体化して、その土地の文化にもなる。(pp.25-26)

山極 (略)文化を身体化することによって、我々は生き続けてきた。「安心安全な社会をつくりましょう」という標語がありますよね? 安全は環境の物質的整備ですから、ものでつくれると思う。でも安心は決してものではつくれない。なぜなら人が与えてくれるものだから。動物は同じ群れの仲間しか信頼しません。常に一緒にいないと信頼できないから、いったん離れたら二度とその群れに戻れないんです。でも人間は日常的にいろんな集団に出たり入ったりして暮らしています。
小池 それは家族や育った社会に安心感を持っているからでしょうか。
山極 信頼感ですね。たとえばお父さんが2年くらい単身赴任で不在でも、同じ仲間として家族も共同体も迎え入れます。動物は2週間いなかったらもう戻れません。チンパンジーでもゴリラでもニホンザルでも、目の前から消えるということは、彼らにとって死と一緒なんです。(p.26)

小池 人間の居場所としての住まいは、家族と共同体という社会性の中で育まれてきたももので、でもその社会性が希薄になってくると、居場所への意識も変わってきているでしょうか。
山極 それはどちらが先だということではないけれども、大切なのは、コミュニケーションの手段が変わったということです。これまで人間は、ものを介在させて身体でつながることができました。ところがインターネット上にヴァーチャルな空間が広がるようになったことで、ものを介さずに脳でつながる機会と時間が急増した。直接的な身体接触ややりとりというものが、信頼や親密さというものを担保しなくなっているのです。そして脳でつながるということは、場所を無視する。ニューヨークにいようがタンザニアにいようが、瞬時につながる。コミュニケーションのあり方が、「実感できる世界」から切り離されている。
小池 そういうことが、すでに起きていますね。
山極 目の前にいる人間よりも、ルールの方が信頼できる世界です。ルールによって動けば解決できるという思い込みが、そこにはあります。(pp.26-27)

山極 実は人間は言葉を使い始めたことで、物質を介さないコミュニケーションを覚えました。そのとき人間は、脳の内部を外に出し始めた。それが急激に加速しているのが現代です。脳はこれまでは自分で記憶を操作する記憶媒体でしたが、今後AIに代替されていくと、身体化の必要がなくなります。つまり考える必要がなくなる。でもAIにどれだけ代替されても、人間は、土地や親善環境の結びつきと、身体というものからは逃れられません。衣食住も環境を担い込まなくなったとはいえ基本的にまだプリミティブで、毎日食べないと生きていけない。だから毎日の食事が重要だし、誰と食べるかということも大切です。
小池 単に舌の問題ではなくて、誰かと一緒に食べることで生まれるおいしさがあります。
山極 相手と自分の境界を越えて、一体化できる。共鳴感が宿り、特別なものが生まれた気持ちになれる。それはねっとでつながっているだけでは生まれません。脳だけがちょっと飛躍しているけれども、僕たちの身体はまだまだプリミティブ。たとえば衣服は人間の皮膚です。その皮膚感覚というものでコミュニケーションしてきたのですから、無印良品もその点に着目したものづくりをしていただきたい。(pp.26-27)