「アテンション・エコノミー」(メモ)

仲俣暁生*1、古谷利裕という人の


例えば、同じ本をブックオフで百円で買うのと、普通に千五百円出して買うのとはどこが違うのかと言えば、百円で買えば自分は得をするが、その百円はブックオフのもうけにしかならないのに対し、千五百円で買えば、その本を出した出版社、その本をつくった編集者、その本を書いた筆者それぞれに対する、積極的な評価の表明となり、経済的な支援となる。ただ「私」が本を読めれば良いのであれば百円で買う方がいいに決まっているのだが、その本の向こう側には(たんに筆者にとどまらず様々な次元で)作者がいて、この社会のなかで、経済活動をしつつ生きているのだという程度の想像力があれば、必ずしも百円で買う方が(自分にとってさえも)得だとは言い切れないと分る。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html
を引きつつ曰く、

まさにそのとおりなのだが、本を手に取ることをきっかけに「その程度の想像力」を読者が働かせることを、出版流通やジャーナリズムが支援できなくなっている、というのが問題の根本にある。本によって生まれる「アテンション」の向かう先が本の書き手だったり出版社(発行人)であった時代とは、古典的な「文芸的公共圏」(たとえばここ*2を参照)が出版ビジネスにおいてもまがりなりに機能していた時代だった。

書き手や出版社への関心、それもまた自分たちと同じ社会を構成するメンバーの一員である、という意識が失われ、本をまさに「メディア」としてしか認識しない読者が増えると、本の作り手への「アテンション」は減り、読者同士のつながりという目的にのみ、その「アテンション」が向かうようになる。後者の意味での「アテンション・エコノミー」をあてこんだ出版物によって経営の基盤を支えることが、長期的にはかえって出版社の土台を掘り崩すことになる、というのはそういう意味である。

アテンション・エコノミー」という言葉が目に引っかかったので、取り敢えずメモしておいた。

*1:http://d.hatena.ne.jp/solar/20060829/p2

*2:ここでリンクされているのは、花田達朗先生のトークhttp://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap4/hanadap4.htm)。やはり、ハーバーマスはエンガチョ!